過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

麻原彰晃との対談企画の顛末(1)

「ぜひ尊師の説法会をやらせてほしいんです」

「え? 説法会って。でも麻原さんって来てくれるの?」

「はい、喜んできますとも。ぜひ、お願いします。池谷さんが主催するワークショップに来る人たちは、瞑想に深い関心が多いから、ぜひ、尊師の説法を聞いてもらいたいんです」

Mさんから頼まれた。かれは、オウム出版に勤めていた。

──へぇぇぇ。それは、面白いかもしれない。

当時、ぼくは東京の国立市でアートエナジーというワークショップを運営していた。瞑想、ボディワーク、アフリカンドラム、ダンス、シタールなどコンサート、曼荼羅アート、新体道、野口体操。

さらにはカバラクロウリーの魔術だろうが、古神道だろうが、おもしろそうなことは何でも企画していた。NHKやアメリカのウォールストリート・ジャーナルテレビなどからも、取材の申込みもあった。そんな時代である。

その参加者のなかにMさんがいた。その彼からの提案であった。

じゃあ、企画してみようか。テーマは、「瞑想と気づき」でどうだろうか。

でも、麻原だけの説法だとオウムの布教の手伝いになってしまう。公開シンポジウムができないだろうか。

オウムは、クンダリーニ・ヨーガの行法、原始仏教、そして大乗、さらには後期密教チベット仏教に至るまでのいろいろな行法を提供していた。麻原の説法に「原始仏典講義」などもあり、「沙門果経」講義などを読むと、体験的に瞑想の境地を微細に述べていた。

けれども、原始仏教を基礎としているというが、どうなんだろう。たとえば、三十六菩提分法の中核にある四念処。その「念」について。どうもちがうと思っていた。

ぼくの捉え方は、「念」=「SATI」=「AWARENESS」=気づき。いまはやりのマインドフルネスである。しかし、オウムはどうも違う。気づきではなくても達成主義・能力獲得主義であった。

そこを論点にしたらおもしろいと思った。そうして、一方的な説法ではなく、南伝仏教の長老と対談したら、そこが明確になっていくのではなかろうか。

そこで、長老に麻原との対談の話をもっていくと「ああ、いいですよ。やってみましょうか」ということになった。

当時の麻原は、東大とか東工大など全国の大学など、盛んに講演会活動をしていた。マスコミにもよく登場した。朝ナマ、とんねるずビートたけしとの対談。

知識人たちも称賛していた。吉本隆明中沢新一荒俣宏栗本慎一郎島田裕巳など。山折哲夫も対談していた。寺院向けの新聞。中外日報などもオウムを好意的に報道していた。そんな時代である。(続く)