過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

麻原彰晃との対談企画の顛末(3)

オウムは、解脱に至る基本的な修行法である「四念処」の「念」(サティ)については「記憶習修」としていた。ま、これは東大の中村元大先生も含めて学者の多くが、そのようにとらえていた。(いまではほとんど学者の主流は「気づき」=アウェアネス、マインドフルネスというふうになってきているが)

オウムにあっては、この身体は、無常であると記憶して忘れない。この心は、無常であると記憶して忘れない。……と繰り返し、記憶するような行法になっていた。

「これが真理である」として権威として与えられたものを、記憶して忘れない、身体に叩き込むというあり方である。偉大な権威=グルによって与えられたものを、無批判に受け入れ繰り返している。それはそれで、修行になるわけだけれども。

ともあれ、オウムの行法のすべてにわたって、「気づき」というポイントが欠落していると感じた。神秘的・通力的な「力」を獲得していく。達成していくことを、行法のメインとしている。

そのあたりのオウムの修行論まで、対談ができたらおもしろいな、そう考えた。それで、いよいよ、具体化の打ち合わせに入ることになる。

ある日、オウムの人たちが下見に訪ねてきた。タントラ・デュパ正師という女性幹部と杉並道場の責任者のTさん、オウム出版のMさんの3人だ。

かれらの対応のあり方は、とても誠実で真面目。話をしているとき、ビシッと結跏趺坐して不動。姿勢はまったく崩れない。かといって、緊張しているわけではなくリラックスしている。さすがだなあと、感心した。当時のぼくなどは、結跏趺坐など長時間できないし、体はグラグラ動くありさまであつた。

「じゃあ、会場の下見をしましょう」ということで、一緒に国立福祉会館の多目的ホールに行く。かれらは、会場の寸法など測っていった。「うん、ここなら尊師のリムジンも入る」と。そして、「また詳細は、詰めていきましょう」ということになった。

ううむ。そんなに気乗りはしないけれど、この流れで進みそう。あのド派手な衣装(クルタ)を着たオウムの人たちが、この国立のまちにやってきるのか。そして、麻原彰晃その人が来るのか。

そうイメージすると、いやあこれはちと不安かあるかなあというのが正直なところであった。(以下、つづく)