過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

オウムと統一教会 そして石井紘基の著作

「オウムの進出前には、ロシアには統一教会が布教していた。いつの間にかそれがオウム信者とすり替わってしまった」

そのように石井紘基は書いている。
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ソ連崩壊後の1992年3月、麻原は「ロシア救済ツアー」としてロシアを訪問、9月にはモスクワ支部を開設した。

ソ連共産主義であったが、底流には神秘思想などを求める流れはあったことだろう。もとより、ロシア正教、さらにはグルジェフウスペンスキーブラヴァツキーなど、神智学や神秘思想が生まれた土壌がある。

そうして、日本製品へのクオリティへの信頼があり、日本の宗教に関心があった。時代は、ソ連邦の崩壊直後であり、人身は動乱していた。

共産主義時代には「宗教はアヘンである」として否定されていた中、仏教の教えと神秘的な実践をつたえるオウムの教えは、急速にひろまり5万人もの信者となった。
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オウムはロシアから短波放送をつかって、麻原彰晃の説法を日本向けに発信していた。オウム真理教放送「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」(1992平成4年4月1日開始)は、全世界に向けて日本語、英語ロシア語でも発信していた。

また、「キーレーン」(Aum Shinrikyo Russian Symphony Orchestra CHYREN)という、ロシア人によるオウム真理教の専属オーケストラがあり、日本で演奏会もしていた。

そのコンサートに一度、招待されて、聴きに行ったことがある。麻原は壇上でゆったりした大きな椅子に座っており、ロシア人の演奏者は、全員オウム服を着ていた。
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さて、モスクワ大学大学院で法哲学博士号をとったほどの政治家、石井紘基が暗殺されて、きょうでちょうど20年。2002年10月25日。61歳であった。

その石井の著作から要点を引用する。

①オウムの進出前には、ロシアには統一教会が布教していた。

②いつの間にかそれがオウム信者とすり替わってしまった。

③日本では、オウムの全容が解明されていない。とくに、ロシアルートについては、まったくわからない。

オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強くもっていた。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりした。それはいったいなんだったのか。

⑤政府は、不可解なことを不可解なままお蔵入りさせようとしているとしか思えない。警察はなぜオウムの国際的活動について、あるいはさまざまな関係人脈について調査や事情聴取をしないのか。政府はどうしてオウム事件について何もしないのか。これらはすべて、単に麻原の異常さや宗教的理由などでは説明がつかない。
石井紘基オウム事件は終わらない―カルト宗教と日本社会』より〜
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石井紘基については、当時、国家財政のおおもと、国家予算にしめる特別会計に切り込んでいた。

国の会計の「一般会計」予算は90兆円として、それが国会で審議されマスコミで広報される。ところが、実際の運営は誰も知らない二六〇兆円という巨額のカネが闇の中のコウモリの大群のように飛び交っている。

それは、権力による経済侵蝕、すなわち官制経済体制である。経済・財政を根底から犠牲にする国をあげての利権システム。特殊法人認可法人公益法人を支え、増殖し、天下り、巨大な権力ビジネスについて、であった。

この件については、また別の機会に投稿したい。