過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

麻原彰晃との対談企画の顛末記⑦

(それまでのあらすじ)20年前のこと。東京の国立市でワークショップを運営していた。オウム出版の参加者から、「尊師の法話の集いを企画してほしい」と頼まれた。来てくれるという。それはおもしろい。そこで、上座仏教の僧侶と麻原の対談を企画したのだった。
─────────────────────────
さて、実行段階になると、オウムから、「尊師は米軍機による空中からの毒ガス散布に遭って重体になった。それで対談は不可能になった」と断ってきた。その企画はお流れとなった。しかし、そんなこともあり、「池谷はオウムじゃないのか」という噂がたつ。

あるとき、インドの聖者アンマ(マータ・アムリターナンダマイー)のセヴァ(奉仕)の集いを催した。その時に配布したプリントに、インドの響きとしての「オーム」が書かれている。それが置き忘れてあった。そのプリントを見た館長は、「これはもうオウムに間違いない」と、私を呼び出したのであった。
─────────────────────────
すっかり私のことオウムと思い込んでいるらしい。その人に、どう説明するか。相手にインド哲学とか宗教の知識は期待できない。

こう説明した。このオームというのは、古代インドの言葉で、数千年に渡って伝えられているのであって、決して、オウム真理教だけの言葉じゃないんですよ。

AUMは3つの音から成り立ち、それはブラーフマンと、ヴィシュヌとシヴァという3つの神をあらわし、インドの哲学、宗教ではみんなこれをを基本としています。なので、インドの祈りの言葉には、かならずオームではじまるんです。
─────────────────────────
たとえば、インドの最大の古典「バガヴァット・ギータ」にも当然出てくるし、パタンジャリの著したヨーガの教典の「ヨーガスートラ」は、オームで始まり……みたいなことを言った。が、相手はまったくキョトンとしている。まったく伝わっていない。そりゃあ無理もない。うーん。では、話題を変えたほうがいいな。

おのぉ、歌舞伎の「勧進帳」があるでしょう。あのとき弁慶が着ている羽織の背中のマークをご存じですか。あれは、カーンといって、不動明王をあらわしているんですよ。これもまあ、オームみたいなもので、オームとかカーンとか、インドの聖なる響きが、日本には伝わってきているんです。

まだ、きょとんとしている。やはり無理もない。
─────────────────────────
話題を変えた。たとえば、仏教でいうと、密教の呪文(真言)がありますでしょう。弘法大師空海が伝えてきたものです。そのなかに、オームがあるんです。

相手は、ふーんと、すこし関心を示した。

オン・アビラウンケン・ソワカっていうでしょう。

よく忍者が巻物を口にくわえて呪文を唱えたりするでしょう。そのオンが、オームなんです。

あのオンは、オームのことです。アビラウンケン・ソワカは、地水火風空という宇宙をあらわしている。あるいは大日如来を意味していたりする。

あるいは、南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏、南無八幡大菩薩っていうでしょう。あの南無は、ナームというインドの言葉です。心から帰依しますという意味です。

オームもナームも、まあ似たようなもので、インド由来で、人の仏教とともに伝わってきたんですよ。
─────────────────────────
などと、説明はしたのであった。

うーん、よくわからないが、オウムじゃないらしいのかもしれない。まあしかし、様子を見ようということになったのだった。そしてまた、受難はつづく。(つづく)

これまでの記事①〜⑥は以下に
https://note.mu/ichirindo/n/ne963975a6951
https://note.mu/ichirindo/n/ne963975a6951
https://note.mu/ichirindo/n/ncb911b2cc988
https://note.mu/ichirindo/n/ncb911b2cc988
https://note.mu/ichirindo/n/ne4567959d841
https://note.mu/ichirindo/n/n4d17b73c7324