過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

麻原彰晃との対談企画の顛末⑤

「池谷さんは、オウムだという話があるんだけど、どうなの?」

いつもワークショプの会場として使っている国立市の福祉会館の館長から呼び出されて、そう聞かれたのであった。オウムが強制捜査されて、世の中が大騒ぎになったあとのことである。

「ええ?どうして、そういうことになるんですか」。

「じつは、そういう電話があったので……」

前年、麻原と南伝仏教僧侶との公開対談を企画していたわけだから、その話が、ヘンに伝わっていたのかもしれない。

当時、ぼくの主催するワークショップ(アートエナジー国立市)は、そういう目で見たら、それはアヤしい。

たとえば、アフリカンドラム10台を叩いて、真っ暗にして数時間も踊り続ける、インドのグルであるOSHOのダイナミックメディテーション、「鼓動」の元メンバーが和太鼓を叩いて、笛と太鼓で踊る、ヴィパッサナーの瞑想会、舞踏、シタールのコンサート、野口体操、フェルデンクライス、古神道行法、カバラの神秘など、いろいろやってきていた。

これらはみな、国立市内の公営掲示板にポスターを貼っていた(国立市の広報の許可印を押して)。そういう時代である。

ところが、オウム事件が起きてからというもの、瞑想とかヨーガとかインドとか、そういう企画そのものが、じつにアヤしいと見られるようになってしまった。アフリカンドラの響きにあわせて踊る、沖縄民謡の旋律で踊るみたいなものでもアヤしい目で見られるようになってきたのだった。

「ヘンみたいだよ……」。こういう人たちに「オウムじゃない」ということを証明するのは、難しい。そのときは、「いえ、まったくちがいます」と言うしかなかったわけだ。(続く)

これまでの記事①〜④は以下に

https://note.mu/ichirindo/n/ne963975a6951
https://note.mu/ichirindo/n/ne963975a6951
https://note.mu/ichirindo/n/ncb911b2cc988
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