過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

麻原彰晃との対談企画の顛末(2)

麻原の対談本に、スリランカのチャンドラシリ僧との対談「四念処から阿羅漢までの瞑想ステージ」とか、アーナンダ・マイトリー僧、ラーフラ僧との対談などがある。(『世界は尊師を待っている』オウム出版)。

麻原は、自分の神秘体験を交えて話をしていく。

──最終的な段階になると光の粒が生じ、六神通の段階に入るはずです。六神通の最終的な段階では経験の滅尽が起きるはずですが、そのときに光の粒の海が見えて、その光の海の一つ一つが衆生の流転を表していることを認識できる状態になっているはずです。

そして、それは表層の意識に戻るときには光として見え、深い意識状態に入ると、その粒は一つ一つの魂の経験、魂の流れを表しているという状態が来るはずです。

そこでお尋ねしたいのですが、この状態の次にはどういう経験をするのでしょうか。

そして、スリランカの僧は、語る。

──最も高いステージというのは、パンニャー(智慧)の開発です。この我々の生命の完全な理解のことです。これが瞑想の最高段階といえます。(中略)

どのように思考が生じ、そして去っていくかという過程を理解しなくてはいけません。その心というものについて、一瞬に注意を深く心を傾けなくてはいけません。心の本質というものを吟味しなくてはいけません。

わたしたちが心と呼んでいるものは、思考が生じ、思考の発生、およひ消滅の流れでしかないことを理解します。

そして、このように、消滅、発生を繰り返していって、これが苦みであり、そして本質が存在しない、本質不在のものであることを理解します。

このようにして、心の観察を続けていくと、最終的にわたしたちは、心全体というものかスンニャッタ(空性)であるということを理解します。

……このように、なかなか興味深い対談である。ま、結局は、論点がすれ違いのまま、上滑りに終わってしまう。

ぼくは、こんな公開対談を、麻原彰晃南伝仏教の長老との対談を企画したかったのだった。