過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いろいろな人にずいぶんと忍耐してもらい、許してもらい、支えられてきた

風邪はまだ収まらず。無慈悲にも、あかりは夜になっても寝ないで元気いっぱい。遊んでーという。ぬいぐるみ遊びと絵本とシール貼りにと、おつきあい。ちっとも寝ようとしない。とうちゃん、かあちゃんはヘトヘトだぁ。
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まあそんななか、過去18年間の日記のテキストデータを、Googleスプレッドシートに移管した。横並びに18年間の閲覧ができるようになった。

古い日記を、ところどころ読んでいる。貯金も底につきながらインドを旅したり、家賃も払えないような暮らしのなか、ド素人で編集の仕事を初めてきたこと。
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突然、思い立って、無謀にもテーラワーダ仏教スマナサーラ長老と、宗教評論家のひろさちやさんのガチンコの対談を企画したのだった。

会場は、帝国ホテルのスイートルーム。しかも、そのお金もなくて、親友から借りてすすめたのだった。3ヶ月かけて、原稿が完成。しかし、ひろさんから却下。まぼろしの原稿となった。

でも、じつはそれがあったたために、本格的な編集の人生がスタートすることとなった。そんな数々を失敗をしながら、へこたれず仏教書、さらには医学書をつくってきたわけだ。
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こうしてみると、いろいろな人にずいぶんと忍耐してもらい、許してもらい、支えられてきた。そのことに、あらためて気がついた。なんとまあ、たくさんのご恩を被っていたか、と。

そんなこと当たり前と思っていたり、恩を忘れていたことがたくさんある。そのことに気がついた。こうしてやってこれたのは、どれほど多くの人の力づけ、サポートのあったことか。

そしていま現在も、恩に気がつかず、おんなじようなことしているみたいだなぁ。18年の日記は、そうした自分の自身の振り返りという実践になるのだった。自然と感謝行が起きてくる。