過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

頭は、「奴隷脳」か「職人脳」できていた。急には「経営脳」とはならない

頭は、「奴隷脳」か「職人脳」できていた。急には「経営脳」とはならない。

大手企業のサラリーマン生活12年間で、不自由だが安定した「奴隷脳」。あとはフリーランスで編集と執筆だから「職人脳」。そして、田舎に移住して、毎日のように企画してゼロから立ち上げる「企画脳」にシフトしていた。

そんな日々から、縁あって、デイサービスの経営に船出することになった。まさに、「経営脳」が必要だ。
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いつも、「システムで稼ぐ」という意識の友人がいた。

自分が働かなくても、組織が動くように。人を適所に配置して稼ぐ。事業を継続させていくという意識にいた。やり方は、なかなか粗雑で強引、批判も多かったが、日本にテーラワーダ仏教、そしてマインドフルネスの流れを作るポイントになる人だった。

後半は僧侶派遣業できちんと収益を上げていた。それでいて、テーラワーダ仏教にたくさんのお布施をして、いわばお布施の循環というか、布施功徳につつまれた人であったと思う。
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ぼくはそういうタイプではない。ひとりでシャカリキ!になって頑張り、なんでも器用そうにこなす。あれもこれも関わる。人に任せられない。なので、いつもフーフー言って疲れてしまう。ついには実らないというサガがある。

まったく一人で完結するのは、執筆の世界で、それで食っていければ一番いい。だが難しい。なので、いま縁のあったデイサービスの経営に集中していくところ。船出していくところ。

ま、これまでの人生、常に前例のない新しいことに挑戦してきたとは、いえる。ただ飽きっぽい。気が移る。こらえ性がない。

福徳、縁を活かす力、継続する力、合理的な経営力。いろいろ試されることになる。
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鉄は高熱で焼いて金槌で叩いて叩いて不純物質を出しいくと、見事な鋼鉄となる。刀剣となる。

叩かれて出てくる不純物質が、ひとつの分のカルマというか、傾向性というか、嫌な部分というか。

これは逃げても追ってくる。逃げるほどに大きくなったりする。ので、それを乗り越えるのは、ただひとつ「直面」するしかない。「直面するぞ」とハラを決めると、案外ひらけたりする。その実験の場というのが、いま始まっている。