過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

それほど、山は価値のないものとなっている

過疎化の大きな原因は、「仕事がない」ことだ。

仕事があれば、定住促進などといわなくても、自然と人が集まる。人が集まれば、活気が生まれる。しかしいまは、山里は年寄りしかいない。

かつての山里は仕事があった。木が売れたからだ。そこに山仕事があった。この山里の人口は3倍あった。
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Aさん(86歳)と立ち話。義母さんは、33齢で夫を亡くした。子どもが6人いた。仕事は、牛で他人の田んぼを耕す仕事をしていた。トラクターで耕すのは、なんでもないが、女手でひとつで牛で耕すなど、大変なことだ。しかも、6人の子育てしながら。すごい。

──でも、現金収入とか、たいへんだったでしょうね。
と聞くと、「山があったので、その木を売ればお金になった」と聞いた。

子供が高校に行く時に、下宿する費用と授業料などは、木を3本売れば、まかなえたという。

かつては、嫁入りに行く娘の持参金として木を数本売れば、よかったという時代もあったと聞く。

それくらい林業が盛んであった。そして、山仕事がたくさんあった。山持ちは金持ちであった。
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いまは、そうではない。木を切るだけで赤字になる。木を切るためには、木を大きく育てなければならない。何十年もかかる。

また、切るためには、山道を舗装しなければならない。切る、枝を払う、運ぶこと、たいへんな労力がいる。結果、赤字になる。いまは補助金でなんとかしのいでいるのが現状だ。

なので、木は切られずに鬱蒼と伸びるだけ。この山里は、そういう放置林ばかりだ。当然、紅葉しない。日は射さないので、森には昆虫も生物もほとんど生息しない。そして、保水力も落ちてゲリラ豪雨などで、鉄砲水となり、自然災害の一因ともなっている。まことに残念至極だ。
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山持ちからは、「もう山はいらない。ほしかったらあげるよ」などという話もよく聞かされる。それほど、山は価値のないものとなっている。

しかし、あと10年も20年もすれば、状況は反転するかもしれない。

木が、森が山里の資産となり、宝となる時代が来るかもしれない。その前に、外国資本、中国の金持ちが次々と買い占めるのかもしれないが。