過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

若くて頭の柔軟な時代、自分の好きなことを見つけて掘り下げていったら、たいそう楽しい人生ではなかったろうか

親が中学教師だったから、働くということは、「どこかに勤めること」と思っていた。

勤めるのが働くということだから、安定している会社、給料が高いところ、有名でカッコよくてスマートな会社がいいと思っていた。

学校でいい成績をとって、いい高校に行って、いい大学に行くのがいい。

そんな価値観で生きてきた。

で、いちおうはその道を歩んだ。

とにかく「その道しかない」と思っているわけで、いい会社に入ってもうまくいかなったら、次のいい会社、そして次のいい会社に移ればいい。そんなことで、一部上場企業を3つも移った。

会社員以外の人生なんて考えられなかったのだ。

▽ 

ところが、いろいろあって、会社人生そのものはやめてしまった。

しばらくは、平日なのに背広もネクタイもしなくてフラフラしている。そんな自分がカッコ悪いと思っていた。そのうち、平気になった。背広とネクタイなんて、窮屈でバカらしいとわかってきた。

しかしだ。稼がないと暮らしていけない。貯金も底をついて、リアルにわかってきた。

稼がなくちゃいけない。
じゃあ、何をして生きていこう。

▽ 

そのとき、はじめて「自分には何ができる?」「自分のワザはなにか?」「自分の土俵はなにか?」ということに気づかされた。

そもそも「自分は何をしたいのか」、それがわからない。そんな当たり前のことすらわかっていなかったことが、突き詰められた。

「自分はなにが好きなのか」わからなかったのだ。

なにしろ、学生時代から会社員時代に至るまで、言われたことをちゃんとやるという人生、その枠内で生きてきたからね。

試験のために勉強すればいい、会社に入ったら営業、営業管理、生産管理、貿易、海外の物流管理、海外の現地法人の窓口、株式など、いろいろやってきた。しかし、どれも会社の看板あってのこと。やめてしまったら、なにもつかえない。そのことが、切実にわかった。

「とにかく好きなこと、得意なことを極めるのがいい」。

それしかない。好きなことなら疲れない。楽しい。努力がいらない。

そんなわけで、「仏教・神道が好きな人募集」という新聞の一行の募集を見て企画会社に入ったのだった。仕事は、宗教や仏教の仕事そのもの(編集、映画作り、取材、本の企画)。まあ、一年でやめてしまったけれど、仕事のコツ、企画の仕方はつかむことができた。

以来、仏教書の企画、執筆、医学書の編集などの道を歩んできたわけだ。不思議とちゃんと生き延びられるようになった。

で、東京よりも田舎がいい。田舎暮らししようとシフトしたのが13年前。移住したらNPO法人をつくったり、デイサービスを経営したり、まあいろんなことをしてきたよ。

 ▽

田舎暮らしをしてみて、いろいろな生き方を観察してきた。出会ってきた。

「いい会社」に入ろうというから、偏差値教育のワナにはまる。

試験のための勉強などほとんど身につかない。暮らしに役に立たない。

そして、会社員人生はつまらない。自分でフリーランスで生きていける、起業するのが一番いい。

自由な時間がもてる。つまらない上司の下で窮屈な仕事をする必要はない。

「奴隷の道」か「ホームレスの道」かの二者択一。
「ホームレスの道」を選ぶことにした。

 ▽

起業して生きていく、あるいは得意なワザで生きていく。そのほうが自由な人生だ。どっちみち、リスクはもとよりあるんだから。

そのためには、好きなことを極めていく。ワザを磨く。

高校や大学などに行くのは時間とカネのムダ。好きな仕事が見つけられなければ、学歴のいらない国家資格をとりまくるのもいい。

たとえば、宅地建物取引士、マンション管理士ファイナンシャルプランナー、大型免許、保育士、特別ボイラー溶接士、行政書士電気工事士中小企業診断士電気主任技術者など、たくさんある。実践的だ。食っていく道につながる。

あるいは、大型重機や大型免許(大型自動車第一種免許)あれば、食っていける。

 ▽

あかりが学校に行かないで学ぶことを選んだこともあり、自分で起業する道を目標に歩む道がいいと思うようになってきた。

そして、自分自身の人生を振り振り返ってみて、なんとまあ中学、高校、大学とムダなことをしてきたかと思ってしまうよ。

この若くて頭の柔軟な時代、自分の好きなことを見つけて掘り下げていったら、たいそう楽しい人生ではなかったろうかと思うのだ。