親が中学教師だったから、働くということは、「どこかに勤めること」と思っていた。
勤めるのが働くということだから、安定している会社、給料が高いところ、有名でカッコよくてスマートな会社がいいと思っていた。
学校でいい成績をとって、いい高校に行って、いい大学に行くのがいい。
そんな価値観で生きてきた。
で、いちおうはその道を歩んだ。
とにかく「その道しかない」と思っているわけで、いい会社に入ってもうまくいかなったら、次のいい会社、そして次のいい会社に移ればいい。そんなことで、一部上場企業を3つも移った。
会社員以外の人生なんて考えられなかったのだ。
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ところが、いろいろあって、会社人生そのものはやめてしまった。
しばらくは、平日なのに背広もネクタイもしなくてフラフラしている。そんな自分がカッコ悪いと思っていた。そのうち、平気になった。背広とネクタイなんて、窮屈でバカらしいとわかってきた。
しかしだ。稼がないと暮らしていけない。貯金も底をついて、リアルにわかってきた。
稼がなくちゃいけない。
じゃあ、何をして生きていこう。
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そのとき、はじめて「自分には何ができる?」「自分のワザはなにか?」「自分の土俵はなにか?」ということに気づかされた。
そもそも「自分は何をしたいのか」、それがわからない。そんな当たり前のことすらわかっていなかったことが、突き詰められた。
「自分はなにが好きなのか」わからなかったのだ。
なにしろ、学生時代から会社員時代に至るまで、言われたことをちゃんとやるという人生、その枠内で生きてきたからね。
試験のために勉強すればいい、会社に入ったら営業、営業管理、生産管理、貿易、海外の物流管理、海外の現地法人の窓口、株式など、いろいろやってきた。しかし、どれも会社の看板あってのこと。やめてしまったら、なにもつかえない。そのことが、切実にわかった。
「とにかく好きなこと、得意なことを極めるのがいい」。
それしかない。好きなことなら疲れない。楽しい。努力がいらない。
そんなわけで、「仏教・神道が好きな人募集」という新聞の一行の募集を見て企画会社に入ったのだった。仕事は、宗教や仏教の仕事そのもの(編集、映画作り、取材、本の企画)。まあ、一年でやめてしまったけれど、仕事のコツ、企画の仕方はつかむことができた。
以来、仏教書の企画、執筆、医学書の編集などの道を歩んできたわけだ。不思議とちゃんと生き延びられるようになった。
で、東京よりも田舎がいい。田舎暮らししようとシフトしたのが13年前。移住したらNPO法人をつくったり、デイサービスを経営したり、まあいろんなことをしてきたよ。
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田舎暮らしをしてみて、いろいろな生き方を観察してきた。出会ってきた。
「いい会社」に入ろうというから、偏差値教育のワナにはまる。
試験のための勉強などほとんど身につかない。暮らしに役に立たない。
そして、会社員人生はつまらない。自分でフリーランスで生きていける、起業するのが一番いい。
自由な時間がもてる。つまらない上司の下で窮屈な仕事をする必要はない。
「奴隷の道」か「ホームレスの道」かの二者択一。
「ホームレスの道」を選ぶことにした。
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起業して生きていく、あるいは得意なワザで生きていく。そのほうが自由な人生だ。どっちみち、リスクはもとよりあるんだから。
そのためには、好きなことを極めていく。ワザを磨く。
高校や大学などに行くのは時間とカネのムダ。好きな仕事が見つけられなければ、学歴のいらない国家資格をとりまくるのもいい。
たとえば、宅地建物取引士、マンション管理士、ファイナンシャルプランナー、大型免許、保育士、特別ボイラー溶接士、行政書士、電気工事士、中小企業診断士、電気主任技術者など、たくさんある。実践的だ。食っていく道につながる。
あるいは、大型重機や大型免許(大型自動車第一種免許)あれば、食っていける。
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あかりが学校に行かないで学ぶことを選んだこともあり、自分で起業する道を目標に歩む道がいいと思うようになってきた。
そして、自分自身の人生を振り振り返ってみて、なんとまあ中学、高校、大学とムダなことをしてきたかと思ってしまうよ。
この若くて頭の柔軟な時代、自分の好きなことを見つけて掘り下げていったら、たいそう楽しい人生ではなかったろうかと思うのだ。