過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分の人生で長きに渡ってある洗脳は「偏差値教育」

統一教会の問題で「洗脳」が語られる。
いろいろな宗教団体と縁があるので、その人の洗脳を解くなんて至難の業だというのは、体験的実感だ。

で、なにより日本人はたえず洗脳されているといえる。
それは、テレビ真理教。ワクチンとマスク真理教。この洗脳はほとんど無理だから、いま深入りしない。
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そうして、自分の人生で長きに渡ってある洗脳は「偏差値教育」。
ちゃんと勉強して、いいガッコいって、いい会社行く。あとは、そこで真面目に勤めれば余裕と安泰の人生。人生はサラリーマンが一番、そこは有名でカッコよくて東京にあって海外と仕事していて、本社で企画していて……それが幸せだ、みたいなイメージ。

こういうのは、ものすごく強い洗脳だ。親の親のまた親の代から続いている。
ちゃんと勉強してい成績を収めていいガッコへ行けば、自分の親も喜ぶ。周囲も力を認めて感心する。尊敬される。そして、いい会社に行く。
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しかし、会社ってじつのところ、おもしろくない。まあ、それはおもしろいときもあるけれど、人に使われる、組織に仕える仕事だから、やはりほんとうに自分の力量は生かされない。安定している分リスクはない。自由度、創造性は少ない。それに大きな会社ほど、歯車であって、組織体としての総合的な働きを知りようがない。そけでいて、ブランド名があると、ヘンな優越意識が生まれる。会社を離れたら、通用しない。

まあそれでも、無難に定年まで勤め終われば、悠々として年金生活。余裕の日々。それはそれでしあわせないい人生。まあ、うらやましいなとも思う。
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ただ、会社員以外に人生があるかという時、それ以外考えられないのだ。何をして食っていったらいいのかわからない。ドロップアウトは怖い。プライドが許さない。洗脳が強烈に効いている。

なにより、組織を離れたとして、いったい自分は何が好きで、何をして生きていこうか、それがわからない。そういう実存的な不安が押し寄せる。ぼくがそうだった。
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しかし、会社を離れて自由になって、インドを旅したり好きなことを企画したりしていく内に、あれれあれというはずみ、勢いで、「盲蛇に怖じず」というのか、次々と出会いがあって、フリーの編集の世界に入ってなんとか食ってきたわけだ。

おもしろくない仕事を無理に頑張ると成果は出ない。おもしろい仕事にまかせて創作していくと力が湧く。出会いも増える。人と人か結びついて起爆力になる。まあ、好きなこと見つけるのが第一。ぼくは仏教とか精神世界とかインドが好きで生きてきたのでそこはなんとかーく仕事に結びついている。
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いまでもそうだが、基本スタンスは変わらない。
先のことはあんまり考えない。そのときの勢いとひらめきですすんでいく。そして、そこから生まれた縁とやりとりしていくと、新しい流れが起きて、知らない内に仕事に結びつくく。仕事にならないまでも、すてきな出会いがたくさんある。なにかに生きていく。

ただし、生活の保証、安定はない。つねに不安定、ホームレスの道に真っ逆さまの可能性はある。まあ、それはそれでなんとかなるとはおもっているけれど。

子どもを見ていて思う。好きなことを伸ばす。とことん深掘りする。一芸に秀でる。そこがとても大切。平均的、平準的、順応的な子どもに育つ必要はない。時代は大きく代わっていっているし。

※風邪は咳き込む程度になってきた。食欲わかない。もう6日くらい断食にちかい暮らし。相変わらずおかゆ生活。なんとかなるもんだなあと感心。