O君は、首都圏で創価学会の支部長をしていた。なにしろ創価学会は会員数が多い(公称850万世帯)。
支部長というと、その下にいる(信仰や活動の面倒をみる管理者という意味)会員はおそらく1,000名ぐらいの人がいるんじゃないだろうか。かといって、ヒエラルキーとしてそんなに強い権限はない。ひとつのポジション。いろいろ決めるのは、大作さんであり、本部である。
まあとにかく、学会員はみんな真面目でいい人ばかりである。が、本質的なところになるとものすごく頭が固い。洗脳度がきつい。創価学会は正しい、池田先生はすばらしい、日蓮大聖人は本仏だというところから、まったく抜けられない。
──第一線で支部長をしていたO君が、よく学会から離れられたなあ。よく洗脳が解除されたなあと感心するよ。たいしたものだなあ。
「いやあ、みんなからあれこれ言われてましたよ。池谷さんに、そう言われると嬉しいですけど」
──ところで、どうして学会が嫌になったの?
「だって、つまらないじゃないですか。まったく魅力がない。活動と言っても、選挙の票取り、新聞啓蒙(聖教新聞の購読者を増やすこと)、まったく教学を学ぼうとしない、話はいつもおんなじ、躍動なんてない、おもしろくなくて、うんざりしました」
──なるほど、そりゃそうだ。おもしろくないところで忍耐しているってのは、心身に悪い。ワクワクすること、躍動することに進まなくちゃ人生つまらないからね。
しかしやめると、みんなからあれこれ言われたり、迫害されたりしなかったの?
「いやあ、いまでもあれこれ言われていると思いますよ。こないだは、面と向かって“退転者”(たいてんしゃ)って言われましたよ。
注)“退転者”とは、学会から離れたこと、信仰の道から外れたこと。信念を貫けずに脱落した残念な人、おちぶれたような意味合いで使われる。と。
学会の組織から離れると、不幸になる。人生が惨めになる、バチが当たると思い込まされている。よく聖教新聞に載っている文句がある。「目はおちくぼみ、頬はこけ、顔はどす黒く、さながら生き地獄のような姿で惨めな姿をさらすようになる」と。
「こないだなんか、先輩のKさんから、“退転したんだって?”て言われましたよ。それって、池谷さんの影響でしょうとも言われました(笑)。
だいたい、“退転した”なんていい方は、ものすごい上から目線なんですよね。人を見下して平気でそういうことを言う。それこそが問題なんですね。自分は正しくて、相手は間違っている。ダメだという。そういう見方してしまうところが、学会のダメなところと思いましたよ」
──そうだよね。あるひとつの信念をずっと持ちつづけるのは、まあ立派だけども、硬直した不自由な生き方だね。見方によっていろいろだ。
宗祖の日蓮自身、天台宗から“退転”したわけだし、創価学会自身、日蓮正宗から“退転”ということもできるわけだから。
ところで、その“退転”して、どうなった。心境的にはどうなの?
「いやあ、窮屈な組織を離れてとっても自由でいいですよ。やめてみれば、ゆうゆうと一人で信仰の道を歩むことができるってわけです。池谷さんともこうして自由に教学やら組織のことを語りあえるし。
学会にいると探究心がなくなってしまうんですね。きまりきった教学の解釈だけ、池田センセイは正しい!本部のいうことを聞け!だけ」
──退転した人を何人か知っているけど、組織を離れたら、こんな自由に地平があったのかってよく言われるよ。でも、まわりの学会員は、“退転者”のO君を見て、どう思うんだろうね。
「そうそう。こないだスーパーで買い物していたら、支部員の方にばったりあったんですよ。支部長、元気ですか、と言うので、いやあぼくは、もう学会は離れたんですよ。離れたら、自由で気楽で楽しい。そう言うと、ええ!?と目を丸くしてものすごく驚いていました」
──わはは。それは、驚くよね。
「学会員は、“退転”すると地獄に堕ちるみたいに思わされているんですね。身も心もボロボロになると。それが、“退転”して楽しそうに元気にしている人が目の前いる。びっくりしたみたいです」
──なにしろ学会員は、罰と功徳と人間関係で縛られているからね。毎日、拝んでいる本尊には、「ちゃんと供養すれば、福十号(福徳がいっぱい)になる」「もしも毀謗(きぼう:不敬したり、悪口言う)すれば、頭破作七分(ずはさしちぶん:頭が七つに割れる)」って書いてあるしね。それを朝晩拝んでいるのだから、信仰から離れたら怖いでしょう。そんな体験談も、しょっちゅう聞かされるわけだし。
「もうとにかく学会員は面倒見がいいし、人柄が良いし、おせっかいだし、図図しいので、夜にアポなく不意に訪問されたり、あれこれと指導と説得されますね。それは疲れますけど」
──それは、おつかれさん。脈があるうちは、あれこれ訪ねてきては言われるんだろうね。もうまったく離れて脈なしということになれば、もうやってこないでしょう。
(以下、続く)