過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

生きるワザを身につけることを第一としたい

かつてぼくはサラリーマンだった。38歳でフリーランスになった。
それまでは奴隸脳だった。
そこから自由を得たけれど、不安定なホームレスのような日々。まあ、インドで暮せばなんとかなると思っていた。当時は体力もあったしね。
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勤めていた会社の仲間の飲み会に参加した時のことだ。
ある先輩が言っていた。
「年収が1,000万円だったのに、それより少なくなった。くやしい」と。
ううむ。そうか、サラリーマンってじっと我慢して、無難に仕事していれば、60歳近くになれば1,000万円は超えるくらいの収入になるんだ。うらやましい。
けれど、それって人生がつまらなくて、ぼくはだめになってしまうなぁ。
そう思ったものだ。
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また、友人の経済官僚は、40代で天下り。官僚の世界は、次官候補以外は、肩たたきに遭うのだ。かれは天下りにあたって、年収は1,300万円以上という条件を出した。で、そこにしばらく勤めては多額の退職金。そしてもまた次の天下りを繰り返す。
東大に通う学生たちの家庭の年収って、おそらく1,200万円くらい。東大の「学生生活実態調査」(2018年)では、親の6割以上が年収950万円以上だ。 
この山里だとおそらく年収平均200万円以下。
100万円以下の人もたくさんいる。
ぼくなんか、この山里でデイを経営しているけれど、無給だ。運営維持が精一杯。先のことなどわからない日々。
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ともあれ、日本の経済格差は広がるばかり。
金持ちは子どもの教育にお金をかけられるから、偏差値のいい学校に行く。そして、いい会社に行ったり、官僚になったりする。そうした人が、国家をマネージする。勝ち組がマネージしている。なので、弱者のリアルな暮らしはわからない。
お金がないと、子どもの教育にはお金がかけられない。いい学校にはいけない。そうすると、非正規社員となって不安定で貧しくなる。結婚も子育ても厳しい。少子化はすすむ。負け組というか。負の連鎖といえるか。
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コロナ禍になって、ますますこの経済格差が広がるのか、あるいは大きな変化が訪れるのか。それは、わからない。
ともあれ、うちの娘には、生きるワザを身につけることを第一としたい。学校なんて中学までで十分。あとは、自由に学べばいい。それができる時代。好きなことを深めればいい。そう思っている。さて、具体的にそのシステムをどうしようか、日々考えている。