過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いつも、あたらしいということ

いつも、あたらしいということ。新年を迎えて、ふたりの方の話を思い出した。

ひとりは、スリランカスマナサーラさん。この方との出会いは30年も前になる。浅草での仏教を学ぶ集いに、竹田さんに伴われて現れたスマナサーラさん。会の世話役のSさんが質問した。

「瞑想するときにいちばん大切なことはなんですか」。スマナサーラさんは、こうこたえていた。「瞑想すると、ある境地になります。ある体験をします。すると、次の瞑想する時、あのときこうだったから、こうなると期待します。けれども、毎回、瞑想してつかんだ体験は、つねに捨てていくんです。いつもあたらしい体験として瞑想に入るんです」。


武術家の甲野善紀さんを、道場に訪ねたときのこと。雑誌の取材のしごとだった。同行したカメラマンが写真を撮ろうとリクエストした。「なにか型をしめしてもらえますか」と。そのことばに、すこしムッとした顔をした甲野さん。

「型などないんです。型をもって練習を繰り返すなんてことはしない。いつも新しいんです。薄氷を踏むように思いで、あゆんでいるんです」。