過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

手作り葬、日常葬のひとつの見事な模範と思う。

手作り葬、日常葬のひとつの見事な模範と思う。
親友の田康彦さんの奥様の葬儀だ。ちょうど、きょうで亡くなって4年。
妻は50代後半から、若年性のアルツハイマーを発症。やがてデイサービスを利用。症状が重くなると、グループホームに移った。田中さんは、妻のケアのため、ホームに通えるよう春野の気田から二俣の地に移住した。
竹をいぶして加工し、組み立てた作業場兼交流場も作った(14坪28畳)。地域の集いやワークショプの会場に使われるようになった。
ところが、6年前の2月の深夜のこと。隣家から出火。そのもらい火で、住居も持ち物もすべて灰となってしまう。「焼け残ったのは自分だけだった」。
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やがて妻は、心筋梗塞を起こし、認知症も進む。夫のことが、もう分からなくなくなる。ホームに通い、妻との身体接触や会話を試みて4年。やがて、妻は脳梗塞で倒れ、息も絶え絶えとなる。
「無理な延命治療はしない。平穏死をむかえさせてやりたい」と、水分や栄養補給の点滴などをしないよう、医師と確認する。
その間、棺を制作する。曲線のフォルムがいいとして、コンパネで組み立てた。「般若心経」が書かれた和紙を貼る。死者に光が見えるよう、外から写経用紙を通して光が射す。棺桶は波に浮かぶ船のようなデザインとした。骨壷は杉の木をくり抜いて作った。
仏具に、香爐(セージを焚く)とチベタンベルをお貸しする。葬儀で流す井上陽水の「少年時代」をダウンロード、CDに焼いた。友人たちが、杉のかんなくず(香りがいい)で布団を作る。多くの友だちが創意工夫してつくっていく過程がすばらしい。
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そして、10日目。妻は、平穏に息を引きとった。
「特別なことはしない。普段の日常のままでおくりたい」として、北海道にいる娘夫婦と孫の4人、そしてぼくが、おくりを行う。
通夜には、妻が大好きだった井上陽水の「少年時代」、深い共感を呼ぶパブロ・カザルスの「鳥の歌」(チェロ演奏)を流した。棺桶には、彼岸花とコスモスをたくさん入れて飾った。
翌日の火葬には、自分のクルマに棺を乗せ、近くの火葬場まで運んだ。あくまで日常の一貫としてのおくりをたいせつにした。最後の別れを告げた。
遺骨を拾うときに、「まあ、ぼくがお経くらいは」と「舎利礼文」(しゃりらいもん)を唱えたのだった。
田中さんは、妻の実家の鹿児島までから沖縄に赴いて、そこでひとり静かに海洋葬を行ってきた。
「ご主人にそんなにまでしてもらい、奥様は幸せだったわね」と多くの人が言う。
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火災のために移住した地は、阿多古で、和紙づくりが盛んに地域であった。大城忠治さんという巨匠がおられた。和紙づくりのワザを継承しようと、和紙工房もつくった。和紙づくりに興味ある人を対象に、ワークショップを主催してきた。
ぼくらは阿多古川での泳ぎのときによく利用させてもらっている。
アムール川(中国北東部の大河:黒竜江)をカヤックで下りたい。そのために、リュックに入れて持ち歩けるカヤックを作っている」。初めて田中さんにお会いしたのは12年前のことだ。うちでひらいたボリビアの友人の講演会に来てくれた。
組み立て式のカヤックモノコックタイプ組み立て式カヌー)の特許を持ち、日々、工夫していた。先日は、軽自動車を改造して太陽光パネネルを屋根に乗せて、北海道を一ヶ月旅をしてきた。
田中さんを見ていると、人生は日常にあり。ものづくりにあり。暮らしそのものが、創造的な日常である。そう感じる。