静岡県の健康長寿財団の「生きがい特派員」をやっている。友人の田中康彦さんのことを原稿にしてみた。
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ものづくりも見守りも日常
その終点が看とりと送り 日常で終わる
─初めて田中さんにお会いした時、そんな話をされていた。
田中さんは、妻のケアのため、ホームに通える地に移住した。また、余暇をみて、竹をいぶして加工し組み立て、作業場兼交流場も作った(14坪28畳)。地域の集いやワークショプの会場に使われるようになった。
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ところが、3年前の2月の深夜。隣家が出火した。そのもらい火で、住居も持ち物もすべて灰となってしまう。「焼け残ったのは自分だけだった」と笑う。
新しく住まいを移したのが、という集落の近く。そこは、かつて何十軒も和紙づくりをしていた地域であった。
田中さんは、和紙づくりのワザを継承しようと思いたち、地元の古老の匠から学んでゆく。和紙工房もつくった。和紙づくりに興味ある人を対象に、ワークショップを主催してきた。
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田中さんは、「無理な延命治療はしない。平穏死をむかえさせてやりたい」と、水分や栄養補給の点滴などをしないよう、医師と確認する。
その間、田中さんは、を制作する。曲線のフォルムがいいとして、コンパネで組み立てた。に和紙を貼り、波に浮かぶ船のようなデザインとした。骨壷は杉の木をくり抜いて作った。骨は大自然に還すのがいいからだ。
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そして、10日目。妻は、平穏に息を引きとった。「特別なことはしない。普段の日常のままでおくりたい」として、北海道にいる娘夫婦と孫の4人、そして友人だけで、おくりを行う。まさに、手作り葬だ。
遺体のそばには、彼岸花とコスモスをたくさん入れて飾った。翌日の火葬には、自分のクルマに棺を乗せ、近くの火葬場まで運んだ。あくまで日常の一貫をたいせつにした。そして、最後の別れを告げた。
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多くの人が、「そんなにまでしてもらい、奥様は幸せだったわね」とため息をもらす。
田中さんは、この春、妻の実家の鹿児島までから沖縄に赴いて、そこでひとり静かに海洋葬を行う。
人生は日常にあり。ものづくりにあり。暮らしそのものが、創造的な日常と感じた。