過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

タイのお寺体験

【タイのお寺体験】
①治療を受けに、秦野から藤野に
②八王子のタイのお寺で話をする
③お寺というものが、人々の拠り所となり、交流の場に
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治療を受けに、秦野から藤野に行ってきた。いかに病と向き合うか、その心構えを指導していただく。キーポイントは、「ゆるむこと、呼吸、天と地つながるビジョン」。

その日は、鍼灸師の友人との楽しい語らい。藤野で一泊。
翌日は、八王子のタイのお寺でお話をしてほしいと言われて出かけた。下地正子さんがマネージしてくださった。
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そのお寺(ワット・パー・プッタランシー)は、とても清潔で正常な空間。住職のチャー先生(51歳)の顔のつやつやピカピカ、静寂なお姿に感銘した。無量寿経の「讃仏偈」が思い浮かぶ。

光顔巍巍(こうげんぎぎ)威神無極(いじんむごく)如是焔明(にゅぜえんみょう) 無与等者(むよとうしゃ)」

多彩な人たちが集まってくれた。20〜30人くらいの人だろうか。
カウンセラー、ホスピスの看護師、鍼灸師作業療法士、舞踏をやっている人、編集者、翻訳者、出版社の経営者、ヨーガの人、旅行代理店、フラメンコの踊り手。シンギングボウルの演奏もあった。
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なぜ田舎暮らしに至ったのか。晩年になっての子育て体験。患っている指定難病(間質性肺炎)のこと。呼吸に意識を向けることの大切さ。慈悲の瞑想、過去の自分の行ってきたことに対する懺悔(さんげ)の実践。嘘を言わないことのインテグリティの高さ。仏教の五戒の力などを話をさせてもらった。

タイの人たちが作ってくれた料理の本当に美味しいこと。こんなお寺の近くに暮らせたら、さぞかし幸せだなあと感じた。毎日、あそびにきている元農業教師の方(76歳)と屈託ない会話をした。

お寺に泊まらせていただいた。こちらも清潔で清浄、穏やか。
翌朝、信徒代表のタイの人と話をした。
お寺を宗教法人にしようと思っているのだが、土地の交渉などいろいろと難問のあることも分かった。
なんとかお手伝いしたいと思いつつ、深みにはまると収拾がつかなくなるので、まあ、つかず離れずというところではある。
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ともあれ、こうしてお寺というものが、人々の拠り所となり、交流の場となり、価値観・文化・習慣の異なる人々が心を通じ合う場になっていく。すばらしいことだ。

根底にブッダの教えがある。それを伝えてきた歴史がある。その深遠さをうかがうことができた。それここそが、サンガである。

たんなる交流とか趣味の集いではこうはならない。
ブッダの教えとは、自分自身をよく観察することに尽きる。その道が示されているわけだ。
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布教するとか信徒を増やすとかという世界ではない。
その道を歩んで、わが身に確かな実感として安らぎを感じる。そのこと自体で人から人に伝わっていく。

「花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。」(ダンマパダ)