過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヒンドゥーの教えは、いつでも始まりがあり、終りがあるん

スワルナーリ女史との対話③

───「ゼロの発見」はインドですね。スンニャータ。有るとか無いとか、始まりとか終わりとかそういったものを超えている。

アブラハム系の教え(ユダヤ教キリスト教イスラム教)は、beginningがあってendがある。ヒンドゥーの教えは、いつでも始まりがあり、終りがあるんです」

───いわば、円のようなものですかね。円というものは、どの点が始まりか終わりか、示すことはできない。つねに、それは始まりであり、終わりでもある、と。

「マハーカーラ(mahākāla महाकाल)という考えがあります。カーラとは〝時間〟です。それは何にも拘束されない。時間を司る至高の王。

有のときもあれば、無の時もある。有無を超えたものです。
マハーは偉大な、カーラは時間とともに暗黒を示す。究極的にすべてを破壊することを示します。破壊はまた、あらたな創造です。
また、死の支配者としてのシヴァ神の別名です」

───それは、大暗黒神ということで、日本に来て、大黒=大国となってオオクニヌシノミコトとなりますね。オオクニヌシノミコトも闇、死の世界を支配するととらえられることもあります。