過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インドの神様の由来を解明していくのは楽しい


インド人のスワルナーリさんとのやりとり。
──こんど、インド哲学と日本仏教について話してくださいね。
「ああ、いいですよ。はじめにガネーシャについて説明しようと思っているの」
──ははあ。いいですね。ガネーシャは、日本では聖天さんとして信仰されています。いわば秘仏で、わりと怖い神様の部類。
「そのあたりから、説明していきますね。ガネーシャは、ガナパティとかガナナーヤカと呼ばれます」
──いつも、バジャン(祈りの歌)のとき、最初にガネーシャの歌から始まりますね。ジェイ・ジェイ・ジェイ・ガナナーヤカ♪ とぼくはよく歌います。
「そう、ガネーシャは、ものごとの最初に祈念されます」
──それって、先導者、先に行くものとして敬われているんですよね。なので、インドでは、タクシーとかオートリキシャーにはかならずガネーシャが祀られている」
「そう。ガネーシャは、障害物を取り除くっていう意味があるの。リーダーという意味も。
ガナパティとかガナナーヤカとも呼ばれるけど、ガナとは、人類全体。ナーヤカというのは、リーダーであり知識そのもの。パティとはすべてを統べる者。大統領。」
──なるほど。そういえば、インドの大叙事詩マハーバーラタ』は、ガネーシャが書いたということになっていますね。
「そう。それも自分の牙で書いた。だから、ガネーシャの絵を見ると、牙が片方すり減っているの」
  ▽
──おもしろいね。そうやって、インドの神様の由来を解明していくのは楽しい。じゃあ、たとえばパールバティはどういう神様ですか。
「パールバティは、シヴァの妻である女神ね。山の娘という意味です。そのお父さんは、ヒマラヤ。インドを守っているのはヒマラヤ。そこは神々の住まうところ。」
──なるほど。だから、日本だと北は縁起が良くないけれど、インドでは北はヒマラヤがあって、神々がおられる。なので、北は神聖な方角。
そうやって、閻魔とか毘沙門天、金毘羅さん、韋駄天、帝釈天梵天と、次々に解明していくのは楽しいね。
「それをやっていきましょう。画像を集めておいてね。
──準備しておきましょう。いろいろみていると、たとえば興福寺の阿修羅像などは、これトリムルティ(三面の神様=ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神を融合した神)であって、阿修羅じゃないと思うね。
「そう、あれは阿修羅じゃない。トリムルティ」
  ▽
──ところで、インドとヨーロッパはおなじ語族だから共通することがたくさんありますね。
「そう、たとえば、ラクシュミーは、宝の神様という意味だけれど、英語のラグジュアリー(luxury)の語源。贅沢とか豪華とか宝物という意味。」
──なるほど、英語の語源としても解明していくのは楽しい。
ところで、神様が増えていくのは、いわば「加上」で、際限なく増えていく。それはいかにもインドですね。
「それは、エジプトやギリシアでもおんなじ。たくさんの神様がいる。アブラハム系(ユダヤ教キリスト教イスラム教)には、それがない。」
  ▽
──そうですね。神様がたくさんいると豊穣な気がします。でも、イスラムの侵略によって、インドの神様も貶められ、零落していく。
「インドでは、しかしテンプル(寺)が壊されても、各家庭の中にテンプルがある。そして、それが壊されても、自分自身がテンプルという考えがある」
──なるほど、自分自身がテンプル。究極の真理ですね。
「そう、だから、インド哲学のエッセンスは、“アハン・ブランマー・スミ”=汝が神である。真理である。自分が神である、そういうところがあるの」
こんな話をしたのであった。
スワルナーリさんとの語らいは、そんな感じで進められていく。
7月25日(火)の13時から「いちりん楽座」で行われる。GoogleMeet。