過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分たちで好きなようにネットワークを作っていくしかない。 家族同士の支え、支えられるネットワークを作るしかない。

戦後のベビーブームのときは、年間200〜280万人の出生者数。「団塊の世代」と呼ばれる。
いまの年間出生社数は、70万人。ベビーブームの1/4だ。

この世代は、ビートルズ、ヒッピー、カウンターカルチャー、猛烈社員、バブルを駆け抜けて、世界の経済大国に押しあげた。いまは老域に入っている。気持ちは元気。趣味も多彩。年金もしっかり。しかし、あと十年したら、さすがに動けなくなる。みんなで高齢者を支える社会となる。

段階の世代に合わせて作られた、学校(幼稚園小中校大学)は、ガラガラとなる。地方の文化施設とか都市農村交流センターとか、ハコモノは活用する人がなくなって、維持費が大変になる。
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一方、いまの子どもたちは、学校に行かなくなる。不登校児はカウント仕方によるが、20万人から30万人。潜在的不登校を入れたら、50万人も百万人になりそう。うちの娘も、小1の夏から不登校。いじめとかではなくて、一斉授業に時間を縛られたくない。家で学んだほうがいい。自分でネットで学べる環境はいろいろある。親にしても、いまの学校教育は、問題は大いなあと感じているので、子供の意思を尊重している。

税金が学校に投入されている。ひとりあたり年間100万円くらいになると思う。すなわち毎月10万円のスクールに通わせていることになる。にもかかわらず学校に行かないのはもったいない。学校に行け!ということになると思う。が、なにしろ「選択肢」がないのがつらい。

たとえば、レストランで、味が美味しい、サービスの質がいい、感じのいいところは繁盛する。淘汰される。
それが一つしかなくて、そこに行かなくちゃいけないのであれば、質的なレベルは上がるはずがない。
多様性、選択肢の幅が多いほど、質的なレベルは上がるのは当たり前だ。学校は選ばれるものとなり、生徒はお客さん。利用してくれるように工夫と、努力しなくちゃいけない。それを「行くのは当然だ」として、文部省指導要領とか、あれこれと規則で、先生も生徒も縛りつけ縛られる。息苦しい社会。
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それと、お年寄りにお金をかけすぎ。いまデイサービスなどに通わせるとしたら、要介護4〜5となりば、40〜50万円かかると思う。1割負担だから家庭では、4〜5万円。あとは行政負担(税金)。これから先のないお年寄りに、40〜50万円かける社会なので。そして、地域のハコモノなど、年寄り仕様で、がらからに空いている。寒いほど全館冷房、事務スタッフもたくさんいる。しかし利用する年寄りは少ない。いっぽう子どもは、自由に遊べる場がない。施設がない。

日本の将来を背負うのは、間違いなく子どもである。その子どもが元気で笑顔でないと、日本の未来はますます暗い。ここをなんとかしたいけれど、行政を動かすのは大変。時間とエネルギーは有限。行政とやりあっているうちに、年をとっしまう。子どもは大きくなる。
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どうしたらいいか。
自分たちで好きなようにネットワークを作っていくしかない。
家族同士の支え、支えられるネットワークを作るしかない。
地域で支えようなんて難しい。会議しているうちに時間は過ぎていく。気の合う友だち家族を一組、二組と増やしていく。それしかなあなあと思っている。それがこれからのぼくのテーマなのだ。