過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

神様に対しても人生の先輩のような気もちで、普通に接するのがいい

本作りのために原稿を整理していて、上座仏教のスマナサーラ長老とのやり取りが出てきたので、再投稿。

話がたまたま、神社について及んだこともあった。長老はもちろん仏教徒だが、神社に参拝することもあるという。どんな思いで、参拝するのか聞いてみた。

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「神社に行くと、みんなが助けてくださいとか、お願いごとをしたりしてますね。

神さまも気の毒ですよね。いろいろとみんなにお願いされて、あなたもたいへんですねえ、とそんな気もちがでます。

わたしは神様にお願いなどはしません。なにか人生の大先輩のような気もちで、友だちのような感じで接するんですね。そうすると、神さまのほうから、とってもいい波動がきて、こちらは楽しくなってしまうんですよ。

神さまというと、なにか仰々しく、拝み方とか作法とかたくさんあって、日本人は、なにか恐れ多いものとして敬います。

でも、神さまをそんなに恐ろしくて厳しくて、ものすごい存在と考えないほうがよい。

人生の先輩のような気もちで、普通に接するのがいいんですよ。もちろん礼をきちんとするのは当然ですが。

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ぼくはよくインドを旅していた時は、人々は神様に対して、もちろん恐れ多いという感じで接するのだが、なにかとっても親しみやすい友だちのようにも接しているのを感じた。

テンプルやキオスクなどでは、神様のブロマイドが売られている。ちょっとしたアイドルみたいな感じ。また、神様を讃える歌が、何千もあって、みんなが口ずさんだりしている。

ただ畏れかしこむ、というのではなく、普通に自然に神様と接するというのも、ひとつのたいせつなあり方かと思われる。