過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

虚空蔵求聞持法

空海は、「虚空蔵求聞持法」を行じた。虚空蔵菩薩に名前を100日間で100万遍念誦するという行だ。
これは、記憶力・理解力が増強し、博覧強記になる。智慧が湧いてくる行法と言われる。
空海の著した、「三教指帰(さんごうしいき)」では、このように述べられている。
「ここに一の沙門(修行者)あり。余に虚空蔵聞持法を呈す。その経に説く、若し人、法に依って此の真言百万遍を誦すれば、即ち一切の教法の文義暗記するを得(う)と。
ここに大聖(仏陀)の誠言を信じて飛焔を鑚燧に望み、阿國大瀧獄に登り禁(よ)じ、土州室戸岬に勤念す。谷、響を惜しまず。明星来影す。」
-----------------
どういう真言マントラ)か。
「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリ キャマリ ボリ ソワカ
もともとはサンスクリット語だが、中国経由なので、発音は原音からすこしずれる。
南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経とちがって、言葉は長い。これを1万遍唱えるとしたら、おそらく10時間以上はかかる。
100日間、毎日10時間唱え続けることになる。
-----------------
サンスクリット語ではこういう感じだ。()内は、日本で発音される響き。わりとよく対応している。
ナモー(ノウボウ)
アカシャー・ガルバヤー(アキャシャ ギャラバヤ)
オーム(オン)
アリヤー・カマリ・モリ(アリ キャーマリ ボリ)
スヴァッハー(ソワカ
----------------------
もとの意味は、どういうことだろうか。
ありがたいことに、日本語の堪能なバラモンの出身者がいる。
気軽に電話して、教えてもらった。
「ナモー」おまかせします。心から帰依します。尊敬します。
「アカシャー」すべてをつつみこむ源。宇宙そのもの。
「ガルバヤー」子宮。宇宙の中核。すなわち、大宇宙は、すべてのものを包み込み育んでいる。
「アリヤー・カマリ・モリ」生きとし生けるものが幸せであること。
「スヴァッハー」そのようでありますように。
いわば、自分と宇宙が一体となること。
全てのマントラは、要点を言えば、「生きとし生けるものが幸せであるように」という祈りにつながる。
----------------------
マントラは、簡単なものを繰り返し唱えればいい。
何でもいい。繰り返し繰り返し好きなマントラを唱えればいい。
そのことで、意識が集中できる。人間は瞬間瞬間いろんな考えが巡っていく。それにとらわれてしまう。
マントラを繰り返し唱えると、そういった余計な考えが消えていく。
そのことが習慣になると集中力が生まれる。
集中力が生まれれば、考えが深まり理解力が深まっていく。
余計な考えとか余計な考えをブロックするようになってくる。
----------------------
悩み苦しみからの解脱には、いろいろな方法がある。
マントラを唱えること、ヴァクティといって、神々に帰依すること、暮らしの中のカルマ・ヨーガなどいろいろな道がある。
そのことは、インド哲学のエッセンスである「バガヴァットギータ」に説かれている。
その方にとっては、カルマヨーガが一番いいという。カルマヨーガとは、成功と不成功を同一視すること。生きているというこの現実、この瞬間瞬間にある。
自分の行ったことを自分の責任で果たしていく。自然に優しくする。人に優しくする。それがカルマヨーガである。何事も何をやっても美しくやることが大事である。
----------------------
マハーカーラについても、お聞きした。
マハーカーラとは「時」である。
時というのは、時のあるとき、時のないときもある。
まったく何にもなくなっても、そこにあるすべて。それがマハーカーラ。
アブラハム系の宗教(ユダヤ教キリスト教イスラム教)は、始まりがある。神が宇宙を創造したという。始まりがあれば終わりがあるわけだ。
しかしヒンディーの教えは、始まりもなければ終わりもない。
無限の過去と無限の未来がある。始まりがないのだから、永遠の無限の過去であり、そして無限の未来である。