過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

工夫参禅、いや工夫三千

寒くなった。いま外風呂を稼働させている。芯から温まる。燃料代がいらない。
手間がかかるのがいいのだ。

木を調達する。玉切りする。斧で割って薪とする。
新聞紙、ダンボール、杉の小枝に火をつける。
薪を炉に入れる。火吹竹と団扇で風を送る。

燃えてゆく炎を眺める。
ただそれだけで、頭は空っぽになる。なかなかの瞑想になる。炎というのは不思議な魅力と魔力あり。
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焔に向かって、いろいろ唱えることもある。
虚空蔵求菩薩や不動真言。インドのマントラ真言)やバジャン(祈りの歌)。
静寂かつエネルギーは充実してくる。
風呂焚きが聖なる場に。

そのままざぶんと入ることもあれば、足湯だけのときもある。
とくに足湯がなかなかの味わい。
足元から、芯からじわあっと暖かくなってくる。とても気持ちがいい。

肉体から離れてアストラル体(霊体)だけみたいな状態というか。しかし、身体は温まるので、微細に肉体感覚は味わっている。肉体を離れることなく、心は静寂かつ澄んでくる。只管打坐(しかんたざ=ひたする坐る)のような境地かも。
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足を暖めるってのが、とてもたいせつ。
臨済系の禅寺でなんどか修行させてもらったが、怒鳴られ、警策で思い切り叩かれる。
裸足で足元が冷えて、ハードだった。
それはそれで、体の内側、丹田からフイゴのように内燃機関が燃えてエネルギーが湧いてくる。ぽかぽかしてくる。充実した時であった。
また、体験したいと思いつつ、はや39年もたつ。もう参禅する元気はないなぁ。
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家ではそのようなことは難しい。ので、楽ちんな方法をためしている。
ともあれ「頭寒足熱」なのだ。
仕事のときは、シュラフの中に湯たんぽを入れて、下半身だけは温めている。
手がかじかむときは、ペットボトルに熱湯を入れて、温める。お腹に入れておけば、これまた気持ちがいい。

こうして、いろいろ体感を通して、心身の感覚に気づいていくのは楽しい。
工夫参禅、いや工夫三千(三千は無限という意味あい)。