過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

たくさんのブッダのなかから、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけをシンボルとして顕彰した。いわば、「釈迦教」と

インド人のスワルナーリ女史とのやりとり②

───ブッダについてお尋ねします。仏教というと、「ブッダの教え」であり、「ブッダになるための教え」です。
しかし、ブッダとは、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけとされてきました。これについてはどうですか?

「〝ブッダ〟は〝ブッディ〟(悟りの性質)からきています。悟ったひと。目覚めた人。なので、釈迦だけがブッダではないんです」

───そうでしょうね。当時、ブッダはたくさんいたんでしょうね。過去にもいた。

「そう思いますよ」

───しかし、ブッダというと、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけが、ブッダとされた。

「はい。歴史的にはそうなっています」

───ぼくの考えです。アショカ王が初の統一インド国家(マウリア朝)を作った。その際に、仏教を国教とした。アショカ自身がシャカに対しての尊敬の心があったのはもちろんでしょうが、人民統治のツールとして仏教を採用したんだと思います。それは、ローマ帝国におけるキリスト教のようなものです。

ただ、そのときに、たくさんブッダがいると、混乱します。なので、たくさんのブッダのなかから、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)だけをシンボルとして顕彰した。いわば、「釈迦教」といえるのではないか、と。

「そうだと思います」

───そうして、後世になってカニシカ王のクシャン朝あたりから、違うブッダがあらわれます。大乗仏教がそれですね。阿弥陀如来とか。さらに後世になると、大日如来とか。たくさんのブッダが創られてきます。これについてはどう思いますか?

如来って〝タターガタ〟のことの訳ですね。〝タット〟(真理)から来た人、真理に帰る人。如来は、ブッダです。それがどうして、阿弥陀如来とか大日如来がでてくるのか、わたしにはわからない」

───クシャン朝は中央アジアから北インドにかけて、1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝ですね。
そうすと、他の国(イランなど)の影響があったことでしょう。偉大で救ってくれる神のようなブッダが創作されていったんだと思いますよ。

続く