いつもよく訪ねてくれるご近所のIさん、優しい人柄でいつもなにかサポートしてくれる。笑いがある。冗談を言い合う仲。81歳で、草野球チームのピッチャーをやったり、ホタル公園の草刈りなどを自発的にやってくれる。ぼくの軽トラが壊れると、すすんで修理してくれたり。まことにありがたい隣人。
ところがこの一ヶ月、顔を見ない。どうしたかなあと思っていた。
きのうあかりのキックボクシングの帰り、道でばったり出会った。
▽
──ひさしぶり。しばらく会わないので、死んじゃったのかと思ったよ。よかった、生きてて。
「おお、ひさしぶり。いやあ、冗談じゃなくて、死んだのは息子だよ」
いつもの笑顔だけど、もう、からだ体全体が悲しみの底にあるという感じ。悲しみとつらさと重さのオーラで包まれていた。
ぼくは、こういうとき「ご愁傷さま」などと神妙にしない。普通の会話でいくことにしている。
──ええ!それほんと。だって、まだ50の前半じゃない。
「そうだよ、54だった。昨日、四十九日すましたばかりだ。」
──なんと、それは急なこと。つらいですね。で、どうして亡くなったんですか。
「脳幹出血だった。横浜の中華街で食事しているときに、倒れて救急搬送。4日間は生きていたけどなあ」
──それは、なんとも。しかし急でしたね。あのほら、プロレスのカメラマンやっていた方でしょう。タイガー・ジェット・シンなどを撮影していたら、つかまってリングにほうり投げられた。それが、テレビで上映されたっ話を聞いた。その映像を見たいと思っていたけど。
「そうなんだ。その息子だよ。独身だったんで、横浜のマンションの片付けやら、倒れたときの中華街の店に謝りに行ったり、なんだかんだで一ヶ月、こちらにいなかったんだよ。」
▽
わが子が亡くなるなんてつらすぎる。でも、なんにもして差し上げられない。
こうして、軽口を叩きあっていくしかない。
それはそれで、運命だしなあ。
それにしても、若い人や年配の急死が多すぎる。
2011年と比較して、これまでの超過死亡者は30万人を超える。
この過疎の山里(人口3500人)で、元気だったのに急に亡くなった人、入院した人、体調を落とした人は、知っているだけで10人以上はいる。
人の身はわが身に起こること。自分もいつなんとき、どうなるかわかない。家族も同様だ。
ということで、忙しい忙しいという日々ながら、ほんとうにやりたいことを。心から打ち込んで生きて死んでいくってことをしなくては。