過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

イスラムの神秘主義者 ルーミーの言葉

イスラム神秘主義者 ルーミーの言葉。ひさしぶりに読み返したが、よく伝わる。
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私の目は眠っている(のだが)、私の心は目覚めているのだと知りなさい。すなわち、私の(一見すると)活動していない状態は(実際には)活動しているのだと知りなさい。

預言者の言葉のごとく、「私の目は眠っている。(しかし)私の心は創造主に対して眠ってはいない」のである。

あなたたちの目は目覚めている。そして、あなたの心はまどろみに沈んでいる。私の目は眠っている。(しかし)私の心は(神の恵みの)開かれた戸口に(観想の中で)立っている。

私の心は(肉体とは)別の五感をもっている。(外界と精神界)いずれの世界も心の五感にとっては劇場である。

あなたたちの無力さ(の観点)から私を見てはならない。あなたたちにとって夜であっても、その同じ夜が私にとっては朝真っ盛りなのだ。

あなたたちにとって牢獄であっても、その牢獄は私にとって庭園のようなものだ。すなわち、(この世界では)まったく完全に占領された状態であっても、私にとってそれは(精神において)自由の状態になっているのだ。

あなたたちの足は泥の中にあっても、その泥は私にとって薔薇になっている。あなたたちは悲嘆にくれていても、私は祝宴の中で太鼓の響きを聞いている。

私は地上の同じ場所であなたたちと一緒に暮らしている。(と同時に)私は(天国の)第七の階層を通り過ぎている。…

あなたたちの傍らに座しているのは私ではない。それは私の影である。私の列する場所は想い(の届く範囲)よりも高いところにある。

私は(あらゆる)想いを通り越えて、想い(の領域)の外をすばやく行き来する旅人になっているからである。

私は想いの支配者であり、(想いによって)支配されない。大工は建物の支配者であるゆえに。…

(それを)体験したことのない者から見れば、これは(まったくの)偽りであるが、(精神的な)領域に住んでいる者から見れば、これは現実である。

ルーミーの言葉「マスナウィー」より