過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自給自足的ノーテンキな農的生活の松尾俊一さん

「自給自足的ノーテンキな農的生活」を40年近くされている松尾俊一さん。先日の、ベトナム僧タン師のリトリート(日常から離れた環境に身を置き、内面を見つめること)に参加してくれた。

リトリートでは、呼吸、歩く、食事、座る、お茶、寝るなど、日常の暮らしのなかでマインドフルであること(いまここの瞬間に気づいている)を体験するわけだ。こうしなくちゃいけない、これはいい悪いなど価値判断をしない。ただ、気づいていることが大切。

で、いちばんラクな瞑想が寝る瞑想だ(じつはいちばん難しいけれど)。食事の後は、その寝る瞑想をした。松尾さんが指導してくれた。

シャバアーサナ(死体のポーズ)がもっともラクなこと。シャバーサナは、体も心も動かさない、まさに屍と同じ状態になることで、悲しみや憎しみ、苦しみといった感情を手放すこと。

そして、パーリ語のお経(メッタスッタ)を唱えてくれた。自然で力強く、しかもゆるやかなお経でで心地よかった。

まったく打ち合わせなく、自然に自発的に松尾さんから起きたことであった。
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松尾さんの人生は不思議だ。

優秀な大学(一橋大)を出ても企業に就職しないで、ベトナム反戦運動や、インドやスリランカの放浪。インドではクリシュナルティの講話に何度も出ている。スリランカでは、マインドフルネスということばの源泉を伝えたドイツ僧のニャーナポニカ師Nyanaponika Thera 1954年に『仏教瞑想の真髄』を著す。マインドフルネスの提唱者)のお寺の留守番をしながらお寺を管理している。

それから、西伊豆の松崎に移住して、まったくの有機農業暮らし。自給自足で暮らしてきた。

みんなが、「そんな生活は心配だ」というと、「それなら私に布施してください。そしたら、あなたの心配はなくなるし、わたしも暮らしていける」(笑  みたいなやりとりをしてきたという。

禅僧の村上光照老師や山端法玄師には信徒たちがお布施する。そして、そういう老師がかれにお布施をする。循環していっていたんだなあと思う。
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「自給自足的生活とは、実は「他給自足的生活」だ。天と地と人に恵まれたことによって、自分の方は自足する。

自足的な生活のキーポイントは、「あれも欲しい、これも欲しい」ではない。

「あれもいらない、これもいらない」なのである。でも、くださるものは有り難く頂戴する。そのとき必要のないもの、多すぎるものは、自分の周りで必要としている人に回す。自分は通過体、媒体に成ればいい。」(松尾俊一)
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松尾さんの詩である。「愛の讃歌 般若心経のこころで 生きる」(松尾俊一著 創芸社)より

パロディ「雨ニモ負ケズ

雨の日には雨の音を楽しみ
風の日には風の音を楽しみ
雪の日には薪ストーブの炎を楽しみ
夏の暑さには谷川の水浴びを楽しむ
健康な心身に恵まれ
小欲知足を旨として
義のためにも怒らず
いつもへらへらと笑っている

一日に玄米一合と
味噌と海草とたくさんの野菜を食べ
あらゆることを自分の関心に寄せて
(私は世界の一部であり世界は私の一部であるから)
よく見 聴きし 解り
そして忘れる

山里のはずれの竹林の脇の
小さなトタン葺きのあばら舎にいて
東に疲れた人あれば
行って 頑張り過ぎない方が良いョと言い
西に病気の人あれば
行って 手当てしてやり
南に死にそうな人あれば
行って 光の世界を体験して来てネと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
なるべく関わらないようにする

日照りの日には 地球温暖化を思い
寒さの夏は 気候異変を思う

みんなに時代遅れと笑われ
誉められもせず 苦にもされぬ
そういう者に 私は成ってしまった
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愛の讃歌 般若心経のこころで 生きる」には、こんな逸話が紹介されている。

ある日、福ちゃんは定期検診で引っかかり、精密検査の結果、乳ガンを告知されました。

医者から悪性だとこのまま放置すれば余命3ヶ月、手術しても転移している可能性があり、おそらく長くて6ヶ月か8ヶ月の命と言われました。

でも福ちゃんは手術を拒否し、仕事を辞めて、食事療法をするために私のところに来て一緒に住むようになりました。

空気のいい私のところで、自然の大地のエネルギー、自然の水、自然の空気をいただいて、新鮮な食べ物をいただいて、4年半くらい毎日一緒に農作業をして暮らしていました。

福ちゃんにとっては、最も充実した日々であった事と思います。友人から頼まれて、日々の暮らしの事を毎週のように書き綴った「お日さまいっぱいのワクワククッキング」が福ちゃんの遺稿集となりました。

そして福ちゃんは福ちゃんのいのちを全うしました。

「私が死んだら灰を粉にして畑に撒いてください。」
それが生前の福ちゃんの言葉でした。

福ちゃんに思いを馳せていたら、言葉が詩と成ってやって来てくれました。

「宙(そら)となりしひとの遺書」

私が死んだら・・・

私が死んだら遺骨と遺灰を粉々にして
畑に撒いて下さい
私は大地の養分と成り
根に吸い上げられ、野菜と成って
あなたのいのちの一部と化し
あなたのいのちを共に生きましょう

私が死んだら
遺骨と遺灰を粉々にして
花壇に撒いて下さい
私は土と成り
根に吸い上げられ
季節を彩る花と成って
あなたに慰めと喜びを
もたらすものと成りましょう

私が死んだら
遺骨と遺灰を粉々にして
下の小川に流して下さい
私はホタルの幼虫のエサと成り
ホタルのいのちの一部と化して
あなたに希望の光といのちのはかなさを
伝えるものと成りましょう

私が死んだら
遺骨と遺灰を粉々にして
近くの海に撒いて下さい
私は大海の一部と成り
海藻たちの養分と成って
あなたの食卓に上がりましょう
お魚も食べない
あなたのために

私が死んだら
遺骨と遺灰を粉々にして
風に吹き散らして下さい
私は風に乗ってどこまでも
あなたの後を追いかけましょう
それは肉体の中にあるうちは
決して叶わなかった夢のまた夢

私が死んだら
遺骨と遺灰を粉々にして
昼のお空に撒いて下さい
私はやがて雲と成り
恵みの雨と成って
あなたと全ての生きとし生けるものたちの上に
降り注ぎましょう

私が死んだら
遺骨と遺灰を粉々にして
夜の宙(そら)に撒き散らして下さい
私は天の星層と成り
遥か彼方の天上界より
あなたを見守る者と成りましょう

そこが私の来たところ
そこが私の居るところ
そして私は
いつもあなたと共に在る

そんな松尾さんの健康法、農的暮らし、これまでの生き方のお話の集いとリトリートをそのうちやってみたいと思う。ともあれ、身近なところに向こうから人材が現れてくれるという不思議。