過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

統制も秩序も失われ、物資の横流しや窃盗が頻繁におこなわれた

1945年8月14日から日本政府と大日本帝国陸海軍は内外すべての機関で、公文書のすべてを焼却する命令を出した。 
 ▽
天皇による八月一五日の重大放送の直後、政府組織のレベルで起こった目立った行動は、きわめて実際的で、自己保全をねらったものであった。 
全国の軍将校や文民官僚たちは、書類を焼き捨てたり、軍の貯蔵物資を密かに売却する仕事に没頭した。
天皇の放送でアメリカの空襲は終わったけれども、東京の空はそのあと何日も煙で暗かったなどと、少々誇張を混じえて言われたものであった。
 主人である天皇の先例にならって、戦争を率いたエリートたちは戦争中の自分たちの行為をなんとか隠すために書類を燃やした。 その焚き火が、焼夷弾の火の海にかわって東京の空を暗くしたというのである。(『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー 岩波書店 )より
  ▽
うちのデイサービスの利用者さんだった方の話。そのとき87歳。3年前に聞いた話なのでいま90歳か。
女学校に行ったが、ある日、突然床が剥がされて、ミシンが置かれた。軍服にする布が天井まで積み重ねられていた。
「これからみなさんは、兵隊さんの服を縫うんですよ」
そう言われた。授業料を払っているのに、授業などまったくなく、ミシンで縫う日々。カーキ色の帆布のような服は、固くて縫うのが大変だった。
ある日、「陛下から重大な放送がある」という。生徒全身が玉音放送を聞いた。「日本は負けた。これからたいへんなことになるぞ」と父に言われた。
その翌日か翌々日、あれほど積んであった布地は全てなくなっていた。
  ▽
こうした軍需物資は、このときとばかり、横流しされて闇市で売買されることになるのであった。これで大儲けしたひとがいるわけだ。
「陸海軍の将兵たちは敗戦という信じられない現実に呆然自失となり、終戦と同時に軍はタガが緩んだようになった。統制も秩序も失われ、物資の横流しや窃盗が頻繁におこなわれた。」(百田尚樹 『永遠の零』)
軍需物資の特務機関の児玉誉士夫は、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得た。この豊富な資金を使って、戦後分裂状態にあった右翼を糾合し、鳩山一郎など大物政治家に政治資金を提供。いまの自民党の黒幕になった。