過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

万斛(まんごく)庄屋公園・旧鈴木家跡地のその後

「庄屋屋敷を改修し、公園の中に多世代が集い、活動する拠点を運営する。
グラウンドゴルフに興じるお年寄りや、小さな子連れが休憩したり、学校帰りの子供が昔遊びや、宿題を教えてもらう場所となる。昔の村(邑・むら)の中心を皆で再生し、地域の人が交流、笑顔が生まれる拠点に育てたい。

拠点ができることで、子供たちにとっては、話す・遊ぶ・学ぶ等の経験ができる場になり、子育て世代にとっては、子供を安心して行かせられる場となる。

歩いて行ける場所にある公園に、見守る大人がいることで子供たちは自己肯定できるようになり、貧困の連鎖を防ぐことにもなる。

この取り組みは、官民の新しい公園づくりのモデルとして全国に波及する。」
 ▽
これが当初の描くイメージだ。

地域の人たちがこの建物を保存し活用しようと地道に活動してきた。地元の14の自治会長で「多世代交流拠点づくり委員会」を組織、子育て支援、児童の居場所、多世代交流、収蔵品管理、高齢者の居場所というかたちで存続させてきた。

ここは万斛(まんごく)庄屋公園・旧鈴木家跡地という。家康に縁のあった旧庄屋の跡地だ。1,000坪はあるかな。水田は、一反(300平米)はありそう。

浜松の西ヶ崎駅の近く。春野町の小学校は全校で50〜60名くらいだが、ここは1,300名もいる。駅の近くで、マンションも建ち新住民も増えている。農地に挟まれ住宅が点在する、市のベッドタウンといったところ。移住者が急増、今は助け合いなど村が育んできた繋がりが希薄になってる。

新住民のママは近所で誰にも頼れず、孤独に子育てをし、放課後の子供の居場所も少ない。お年寄りの居場所に関しても同様。

庄屋屋敷としては浜松唯一の歴史遺産が、環濠も含む往時の面影を遺して市へ寄付され、公園として整備されることになった。市は上屋を民間に無償譲渡して、民間はそれを改修。市は9,000万円近くかけた公園整備事業を行った。
 ▽
ということで、建物が完成して4ヶ月くらいたった。
さぞや自由な集いの場として活用されているかなあと訪ねて見た。8ヶ月ぶりだ。

ところが──。
門はしまっている。小雨ということもあるが、子どもや年寄りは誰もいない。工事関係者が二人。たまたま、閑散としているだけなのかなあ。

とても整然として美しい。禅宗のお寺みたいな。
ここでゆったりとした会食にはいいと思うが、子どもの遊び場にはなりにくそう。
なにか、ここで遊びたいという気が起きない。自由にあそんだら叱られるような感じ。まあ、閉まっていたということもあるが。

こないだ「すごい公園ができて遊べそうだよ」と伝えると、友人の奥さんが幼稚園の年長の息子を連れて訪ねた。すると料金は3,000円くらいの価格の立派なレストランができていた。しかも「子どもは入れない」という。それで、ぷんぷんしていた。「サイゼリヤ」ができたほうがよっぽどよかったという。うん。たしかになあ。

「子どもたちにとっては、話す・遊ぶ・学ぶ等の経験ができる場になり、子育て世代にとっては、子供を安心して行かせられる場となる。歩いて行ける場所にある公園に、見守る大人がいることで子供たちは自己肯定できるようになり、貧困の連鎖を防ぐ」

というビジョンから、遠いかなあ。ううむ。ザンネンなことだがまあ、よくある事例だ。「期待は外れる」ということだ。
  ▽
ところで、ここの設計士は高校の同級生だ。かれにそのあたり聞かなくちゃ。電話するか。
そう思っていたら、なにやら施設の中で声がする。
「もしかして------」
遠目で見たら、なんとその友人であった。

ぼくくがここにきたのは、人生で3度目。2度目は8ヶ月前。友人がここに来るのも3か月に一度くらい。ものすごい確率だなあ。

それで、事情を話して、なんとかうまく「子どもの学びの場」として週一日でも母屋を貸してもらえないかなあ。ここを購入した民間会社に伝えてもらいたい。

ハコモノ、建物はできても、人と人を結びつけるノウハウというのが難しい。ましてや子育て世代のニーズがとてもあるのに、つかわれないのはなんとももったいない。

そんなことで、これから動こうというところ。なにしろアクション起こすためには、経緯と目的を文章にするところからがぼくのスタイル。