──うーん、これだとあかりはストレスだなあ。
で、隣を見ると女の子たちが楽しそうに、ままごとをしている。それを見ているあかり。そこでおとうちゃんの出番。
──じゃあ、こんどはお姉ちゃんたちと一緒に遊ぼうか。
二人を連れて行って、
「一緒に遊んでくれる?」
「あかりです。れいなちゃんです」
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「ひと・ほんの庭 にこっと」に行く。あかり(6つ)とれいなちゃん(もうすぐ4つ)が、ここで遊ぶためだ。
ここは、子どもたちが遊ぶための図書館。子どもが騒いでも平気。広い。走り回れる。絵本は沢山。滑り台もある。ヤギもいる。大人が静かに読書したいときには、隣の部屋に大人用の図書館もある。
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あかりとれいなちゃんの遊びをみていると、あかりはお姉ちゃんなので、いろいろポジションを譲歩しているようだ。
絵合わせゲームなどをしていても、れいなちゃんは、自分のルールで進めて「勝った、勝った」とはしゃぐが、あかりは複雑な表情。しかし怒ることもできないので、付き合わされている状態。顔が曇ってきた。
そこで、おとうちゃんが動くことになったわけだ。
二人は姉妹だった。5つと3つ。
「うん、いいよ。こはるです、このみです」。
上の子はあかりと同学年の幼稚園の年長さん。
上のお姉ちゃんとあかりは、とても気があって2人で元気よく遊びだした。走り回る、障害物を乗り越える、着せ替え人形、次々と多くの遊びがはじまる。とっても楽しそう。
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そうすると、下の妹のこのみちゃんはおいてけぼり。でも、ひとりで黙々と家づくりをしていた。れいなちゃんもおいてけぼり。
「あかりちゃんが行っちゃった」と寂しそう。
「このみちゃんと、一緒に家をつくろうか」と声をかけたが、その気がないみたい。
ひとりで、魚釣りを始めた。ぼくは、それを見守る役目。あかりたちは、はしゃいで俊敏に走り回っているので大丈夫。
でもやがて、れいなちゃんも遊びに加わるようになって、なんとか少しちぐはぐだけど調和のとれた世界になった。
この図書館は次々と子どもが現れる。ゼロ歳から10歳くらいまで。年下の子が来ればお姉ちゃん役、年上の子が来れば妹役になるわけだ。みているだけでおもしろい。
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ただ、子どもは放っておけば勝手に遊ぶか、というとそうでもない。親と来ていると親子だけの遊び。あるいはきょうだいだけの遊びとなる。交流ができそうで難しい。
そこで、子どもと子どもををつなぐコーディネイターがいる。交流のきっかけを作ってあげれば、あとば自動的に子ども同士、自由にのびのびと遊ぶ。
まあぼくは、及ばずながらその役目をしていたわけだ。
あかりは「最初はやっぱり緊張した」とあとで、言っていた。「緊張」なんてことばを理解していた。
でも、とってもいい友だちができて、その日は、うれしくてうれしくて仕方がないようだった。
そのお母さんとも連絡先を交換。「こんどまた一緒に遊びましょう」ということになった。二人でお絵かきして手紙の交換もしてた。
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こうした場所があちこちでできたらいい。
たとえば、二俣の旧い土蔵(ヤマタケの蔵)などを借りて、子どもの交流広場をつくる。ちかくの高校生たちに見守りとコーディネイトのボランティアをやってもらう。天竜高校の粟飯原先生と、そのことを話したのだった。
多世代の交流広場。地域とまちなかの子どもたち、お年寄り。障害を持った方。そうして、近くにお寺もあるわけだから、和尚さんにも関わってもらうとおもしろい。そんなことがひらめいたのだった。
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子どもたち、お年寄り、地域の人、障害をもった人、多世代が交流できる広場。高校生がボランティア。
ぼくは、ギターで昭和歌謡でも歌ってリードするかな。露天だって出るかもしれない。現場で、子どもが楽しむことをメインに考えると、発想はたくさん出てくる。
ただ、室内だと男の子は参加したがらないかも。土いじり、火遊び、水遊び、木登りなど冒険的なことができれば、男の子たちが目の色が変わる。そういう場も作っていきたい。
こちらは、うちの施設まわりでいま企画して行政に提案中。きまれば9月からのスタート。