統一教会と自民党、安倍晋三元総理との癒着が話題になっているが、ここで創価学会との関係についても見てみたい。
背景として、占領軍が日本を「反共の防波堤」としたことにある。以下、きわめてざっくりとまとめてみた。
①日本は敗戦によって連合国による「無条件降伏」を受け入れた。無条件だから、煮ても焼いても好きにしてくれ。命の保証すらもないかもしれないという事態だ。
②しかし、日本にとって最大の問題は、民衆の生命よりも、「國體の護持」であった。國體とは何か。その実態の定義は難しい。それは天皇制を中心とした精神的支柱、あるいは利権構造といえようか。
③ともあれ、日本は無条件降伏といえども、象徴として天皇制は維持され、かたちとしては國體の護持がなされた。戦争の戦争責任者である天皇は絞首刑にならずにすんだ。
④けれども、天皇制を残したままでは軍国主義日本が復活の恐れがある。連合軍はそれを恐れた。そのため牙を抜かねばならない。そこで憲法第9条の戦争放棄、戦力不保持条項を入れた。そして「私たちは間違っていた」という自虐史観の教育が施されることになった。
⑤さらに、軍国主義の精神的支柱である国家神道の解体、財閥の解体、公職追放令などが行われた。
⑥ところが、中国は共産主義国家となり、1950年(昭和25年)朝鮮戦争が起こり、共産主義がどんどん南下してきた。アメリカは、共産主義から自由主義陣営を守らねばならないわけだ。
⑦日本は「反共の防波堤」という位置づけとなった。そこで、戦力放棄をうたいながら、自衛隊が出現する。GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が組織された日米安保協定が結ばれる。
⑧農地解放や信教の自由なども、民主化というよりも、反共政策の一環といえようか。小作人から、農地開放や山間部の開墾政策で土地を所有する人々が増えることは、共産主義の防波堤となるわけだ。
⑨さらに、占領軍は反共勢力となりうる新興宗教にテコ入れすることになる。ここに、勝共連合=統一教会などが、癒着していく。戦後急速に拡大した霊友会、立正佼成会、そして創価学会も同様と思われる。
⑩創価学会は「反共の防波堤」として占領政策の中で守られてきた面があると思われる。
⑪たとえば、戸田城聖は、戦前も戦後も、出版事業を展開していた。創価学会の設立資金もそこから捻出していた。しかし、戦後、たいへんな物不足で、肝心の紙が滞った。
出版事業が立ち行かなくなる。戸田は、マッカーサーは仏法を守護の諸天善神(梵天)であると位置づけて祈る。そして、紙がやってきて事業はすすんでいく。これらの逸話は、反共の防波堤としての創価学会を役割をあらわしたものといえるかもしれない。
⑫さて岸信介は、A級戦犯であったが死刑を免れた。占領軍は、岸は官僚機構のトップとして日本統治の要として役に立つからである。
⑬その岸と統一教会との癒着はよく知られているが、創価学会とも関係が深いのだ。
⑭実質的に創価学会を躍進させた第2代会長の戸田城聖は岸信介と親しかった。たとえば、戸田は日蓮正宗富士大石寺に大講堂を寄進した。その時に総理大臣の岸を招待した。
⑮岸はそれに応じた。一国の総理が、落慶法要に来る!全国の青年部に広宣流布の模範になる式典を行うとして、大結集をかけた。
⑯それは、日蓮が予言した国立戒壇の模範となる儀式である。「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(中略)勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か」(三大秘法抄)
⑰ところが岸は、特定の宗教団体に深く関わるのは得策ではないとして急遽、箱根で引き返した。そして、名代として現れたのが、安倍晋太郎。すなわち、安倍晋三の父であった。