過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「狭く深く」ということにならざるを得ない

「浅く広く人とかかわる」ということで生きてきた。いわば「縁があればともない、縁が離れればはなれる」という感じ。時間があればインドやバリによくでかけた。まあ、極楽とんぼみたいな人生であった。
 
しかし、晩年になって、田舎暮らしを始め、家庭をもち、子育ての現実がやってきた。さらには、昨年よりデイサービスの事業に携わることになった。そうなると、「浅く広く」ではなくて、「狭く深く」ということにならざるを得ない。
 
もう、ほとんどあちこち出かけられない。旅もできない。インドなど、とんでもない。数少ない利用者さんと、毎日、毎日、深く関わっていく日々となった。
-------------------
だが、これがなかなかおもしろいことに気がついている。
 
ひとりの人の生き方を深く知る、その人の体験から学ぶ。そのことで、自分の心の反応に気がつく。自分の生き方、自分自身そのもの学びにつながると感じる。
 
本日のデイは、風邪などで数名が休み。利用者はたったの2名。この方たちと、あれこれと語り合った。その人の人生体験を聞いていった。
--------------------
話題は多岐にわたる。嫁と姑の問題。どんだけつらい目に遭ったか、どれだけ理不尽なことがあったか。ある方は、語ることで涙があふれる。そして、「そうだね」と同意し、ちゃんと聞いてくれる人がいるわけだ。語ることで癒やされていく。自己肯定する。自己肯定が他人肯定にもつながる。
 
さらには、どうやって死んでいくか。どうやって人生を平穏な終末にしたらいいか。断食、平穏死、家族葬、供養、散骨や海洋葬のことなど、話が盛り上がる。
--------------------
戦争体験はいつも出る。兄弟のインパール作戦での戦死、学徒動員と軍需工場体験。竹槍と風船爆弾。負けるなんて全く思ってもみなかったが、突然の敗戦。あっという間に消えた軍需物資。今ままでは間違っていたと墨で消した教科書のことなど。
 
生きた歴史、人生史、昭和史、女性史。老いを生きる、過疎に暮らす。さまざまな現実に直面する話となっていく。そのあたりが、なかなかにおもしろい。