「死とはなにか」についての本作りをしている。
「死について」「死後についての」内容だ。
「死」について語ることは、「生とはなにか」について論ずることになる。
「この日常の暮らしはどう生きたらいいのか」というところに、つなげていきたい。
①「死」とは生存力を失うことを意味する。死とは肉体の死を迎えること。
②生きていても、私たちの体内では、無数の微生物、細胞が生死を繰り返している(新陳代謝:古いものが新しいものに置き換わる。生きていくために、体内に必要なものを取り入れ、不要なものを体外に排出する)。ゆえに、瞬間瞬間、生と死を繰り返しているとも言える。
③生とは、物質、肉体が動くことを言う。それは、たんなる物質だけで動いているのではなく、それらを総合的にまとめている「心」あるいは「私」があるのではないか。
④心は物質、肉体をフィールドにして、ファンクションとしてしている。その場を失ったら、心はなくなるのかどうか。
⑤物質を「私」という統一体でてまとめているものは心といえる。その物質がすでに機能を果たさなければ、心は行き場がない。
⑥では、肉体の死とともに心は無に帰することになるのか。あるいは、心はエネルギーとしてなお残るのか。
⑦もしそうだとしたら、心はどこに行くのか。
⑧心の行き先は、次の生命になるのか。あるいは、「あの世」「浄土」「霊界」みたいなところに行くのか。
⑨そこがわからない。次の生命があるとして、もしかして、死の瞬間の心が次の生命を決定するかもしれない。
⑩なので、死は不定、いつ訪れるのかわからない。だから、瞬間瞬間、心は平和で安らかでありたい。
⑪それは死のための準備、来世のための準備ということではない。生きているというのは、まさにいまこの瞬間瞬間である。なので、いまをまっとうに生きる。それこそが幸せな人生ということができるのではないか。
⑫過去にこだわらず、未来を心配しない。まさにいまここに生きていくという実践、それこそが仏道であるということができる。
『パッデーカラッタ・ガーター』「日々是好日」偈
過去を追いゆくことなく また未来を願いゆくことなし
過去はすでに過ぎ去りしもの 未来は未だ来ぬものゆえに
現に存在している現象を その場その場で観察し
揺らぐ(執着する)ことなく動じることなく 智者はそを修するがよい
今日こそ努め励むべきなり だれが明日の死を知ろう
されば 死の大軍に我ら煩うことなし
昼夜怠ることなく かのように住み、励む
こはまさに「日々是好日」と 寂静者なる牟尼は説く
------スマナサーラ長老の説法をもとにしている。この流れで書いていって、原稿は今月にほぼ完成させてしまう。それから取材という流れになるかと思う。
学術論文ではないので、わかりやすくよみやすい、おもしろいものにする。そこが編集のワザということになる。