過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「日月神示」を読んだ。

日月神示」を読んだ。
ざぞ、とか、おろうが、という言い方に違和感はあるが、内容はとっても伝わる。探求していきたい。


「悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、
世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。」
「心の世界を整理せよ。
そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。」
 
以下、「第二十六巻 黒鉄の巻」から、印象的なところを適当に抽出してみた。
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今は今の姿が真実ぞ。
あるものそのものが真実であるぞ。
そのあるものを拝み、祝福して、其処から出発せよ。
現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。
たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。
喜びせねばならん。
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一切に向って涙せよ。
ざんげせよ。
一切を受け入れ、一切を感謝せよ。
一切が自分であるぞ。
一切が喜びであるぞ。
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他の為に苦労することは喜びであるぞ。
全体のために働くことは喜びぞ。
【光の生命】ぞ。
誰でも重荷負はせてあるのぢゃ。
重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ。
この道理、涙で笑って汗で喜べよ。
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今まいた種、今日や明日には実らんのざ。
早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ、人間の近慾と申すもの。
神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ。
まいた種ぢゃ。
必ず実る。
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未来にもえつつ現在にもえよ。
神相手に悠々と天地に歩め。
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気づいたことから早う改めて下されよ。
あかりつけなければ闇のよは歩けんぞ。
それぞれのあかりとなれよ。
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わざわざ遠い所へお詣りせんでも、自分の家にまつってあるのぢゃから、それを拝めば同じことぢゃ、
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区別と順をわきまへて居れば、何様を拝んでもよい。
時、所、位に応じて誤らねば弥栄えるぞ。
同じ愛、同じ想念のものは自ら集まって結ばれる。


神心には始めも終りも無いのぢゃ。
総てがあるのであるぞ。
世界見よ。
三千世界よく見よ。
総てが秘文ぢゃ。
他力の中に自力あるのぞ。
自分ばかりでは成就せんぞ。
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学出すから、我出すから行き詰るのぞ。
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フデうつすとはフデを人間に、世界にうつすことぞ。
フデを中心とした世界のはたらきせよ。


フデすてて、仕事に神示(フデ)生かして生活せよ。
生活がフデぢゃ。
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宗教に生きて、宗教に囚はれるでないぞ。
仕事が宗教ぢゃ。
小さいことから始めよ。
小乗の行と馬鹿にするでないぞ。
小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ。
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悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、
世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。
真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。
形式に囚はれなくなるぞ
真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。
今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。
政治いらんぞ。
喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(フジ)にうつるぞ。
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人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。
人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、善のみと云ふこともなく悪のみと云ふこともない。
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教派や教義に囚はれるは邪の教。
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いよいよ表の守護と相成ったぞ。
表の守護とは、よいものもなく悪いものもなく、只喜びのみの守護となることぢゃ。
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もちつもたれつの世であるぞ。判らんのは、われが偉いと思ってゐるからぞ。
め覚めれば その日その時からよくなる仕組、結構楽し楽しで どんな世でも過ごせるのが神の道。
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まかせ切らねばマコトの安心立命ないぞ。
まかせ切るには、まかせ切って安心出来る神をつかまねばならん。
おかげ信心や病気治しの神ではまかせ切れまいがな。
早う合点結構ぞ。
大きな生命に通ずるものには死はないぞ。
通じなければ死あるぞ。
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身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神ぢゃ。


この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあらう。
神は人間の命、人間は神の容れものであると申してあらう。
人間の極まるところは神であるぞ。
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何事も体験結構。
今の人民の迷信と思ふものの中に正信あるぞ。
正信と思ふものの中に迷信多いぞ。
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親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。
神に呼びかけよ。
総てを投げ出せよ。
まかせ切れよ。
神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。
理屈の信仰に囚はれると邪道。
赤児心の理解は第一ぞ。
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自分が自分に語るのであるぞ。
この道理、よく心得なされよ。
時まちて起き出て下されよ。
恨みの霊は中々にとけんぞ。
思ひは能(ハタラ)き、実在と申してあらうが、間違ひでも恨まれると、恨みがまとひつくぞ。
心して神を求め、心して幽界からのキ断ちて下されよ。
判ったと思うたら天狗ぞ。
かへりみるとよくなる仕組。
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喜びにとけ入るから嬉しいのぞ。
喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。
そんなこと分ってゐると申してゐるが、ほんとに身体に分ってゐまいぞ。
喜びに入る門は愛からぢゃ。
真からじゃ。
二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、愛からでは誤り易い。
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心大きく、広く天地に放さねば、天地のキを吸ふこと出来んぞ。


嬉し嬉しで運命を迎へる気、結構ぞ。
この世のことだけで この世のこと動かんぞ。
霊界との関係によって、この世が動いてゐる道理判らねばならん。
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何事も天から出て来るのぢゃ。
天からとは心からのことぢゃ。


肉を魂とせよ。
魂を魂の魂と向上させよ。


人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。
今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。
他を排すでないぞ。
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祈りとは意が乗ることぞ。霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることぞ。
実力であるぞ。


愛は脈うってゐるぞ。
真は呼吸してゐるぞ。
肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、この二つが一つであって、肉体を生命する。


祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。
生命のイキであるぞ。
祈りから総てのもの生れるぞ。
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この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。
清くして富むのがまことぢゃ。


神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。
金がたまらねば深く省みよ。


不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてあるのぢゃ。


人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。
悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。
皆々、極楽行きぢゃ。
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心の世界を整理せよ。
そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。
神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる。