過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

浄土真宗のお坊さんとの対話 戦時教学とは

浄土真宗のお坊さんとの対話。

◉戦時教学とは

──「戦時教学をきちんと反省してこなかったことも要因」と言いますが、そもそも「戦時教学」ってどういうことですか。

「戦時教学というのは、天皇制ファシズムを聖戦という美名の下で、侵略戦争体制を翼賛する教学といえましょうか。」

──具体的には?

「たとえば、天皇阿弥陀仏は一体。天皇阿弥陀仏阿弥陀仏天皇。だから、戦死するのは、極楽往生なのだという教えです」

──おお、天皇阿弥陀仏、そんなことまで言ってましたか。
日蓮主義でも、久遠仏と天皇は一体であるという考えもありました。そして、この戦争は聖戦であり、世界広布(教えが弘まること)につながるのだと。たとえば、満州帝国をつくった石原莞爾などは主張していましたね。

◉信仰を挙げて天皇に帰一し奉る

「とにかく真宗の教学の権威ある人たちが、書き残しています」

──たとえば、例を挙げられますか。

「いくつか挙げてみましょう。」

日本の戦争は、それが天皇陛下の御名によつて進めらるるのであるから正しい。すなはち聖なる戦である。これはわれら国民の信念であり、実に日本の基本性格である。ここに日本の戦争観の根抵がある。そしてそれは大乗仏教の精神と一致するものである。(中略)日本の戦争が聖戦であるといはれる所以は、自他の生命をともに生かさうとすることであり、それゆゑに、己を忘れて身命を投げだしもし、よろこび勇んで戦ひに没頭することが出来るのである。(梅原真隆 述『興亜精神と仏教』昭和14)

真宗の信仰も亦、その信仰を挙げて天皇に帰一し奉るのである。一声の念仏を称ふるにしても、その念仏にこもる力を挙げて、上御一人に奉仕しているのである。真宗でいふ信と云ひ行と云ふものは、勿論仏を対象として起されたるものには相違ないが、その信行にこもる力、仏を信ずるものの宗教体験を、すべて天皇に捧げ奉るのである。……念仏の中に漲る力をもつて、国家に奉仕し、内心に蓄えた信心の力をもつて、王法に奉仕せよ……(普賢大圓『真宗の護国性』昭和18)。

如何に戦うても戦の原理は平和である。平和といふ願ひがあればこそ本気になつて戦ふことが出来る。平和の原理を以て戦ふものは必ず勝つ。今日の時局に於ける目本軍の強みは、実に興ハ亜の理想の為であり、世界の平和を眼差してゐるからでありませう。ここに神教生活と、真実なる皇民生活とが融合して一念仏生活の中にあり得るのである。(加藤仏眼『念仏護国論』昭和19)

──すごいですね。真宗の教えは強靭であり、神祇不拝も徹底していたと思いますが、敬神尊皇の道と帰依仏法の道とが一体となるわけですね。

◉戦後になって、無反省に反戦だ、平和だ、人権だ民主主義だと叫んだりする

「はい。うちの寺の祖父などは、盛んにこの説を唱えて若者たちに戦争に行くように鼓舞していました。そうして、敗戦をむかえると、多くの若者を戦死させてしまったと深く反省。とともに、アメリカ軍がやってくると自分は戦犯として責められるかもしれないと恐れ、やがては極度の鬱になって亡くなりました。」

──なるほど。そうでしたか。しかし、多くの人は「戦争に行け、死んで帰れ」と若者を励まして戦地に送り出してきた。そういう人たちが、戦後になって、無反省に反戦だ、平和だ、人権だ民主主義だと叫んだりするわけですね。

1945年8月28日には東久邇稔彦首相が「一億総懺悔」を説いています。 敗戦は、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならない。天皇に対して申し訳ないというわけです。

天皇自身が戦犯の最たるものなのに、まったく反省なし

「そうなんです。まったく反省がない。うちの祖父などは、鬱になって死んだというのは、まだマシかもしれない。A級戦犯だった人が総理大臣になったりするわけだし、戦争遂行していた官僚たちは、そのまま占領軍の官僚として、我が身の安全をはかる。なにより、天皇自身が戦犯の最たるものなのに、まったく反省なし。そして、私たち自身、天皇の戦争責任など、追及しようとしないわけです。」

──ううむ。やはりあらゆる分野に渡って根っこの部分で天皇制がふかく染み込んでいますね。戦時教学とは真宗天皇主義化、神道化、軍国主義化、皇道化だったわけですね。

八紘一宇の大精神に基づいて大東亜共栄圏を建設するというのは、これは仏教界ほとんどすべてが賛同していたと思います。そして、戦後になってそのことの反省は一切なし。(続く)