過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり【親の看とり】③ 通し番号120

スマナサーラものがたり【親の看とり】③ 通し番号120

スマナサーラ長老は、看取るときに、「慈悲の瞑想」をすすめていた。
こちらは短いバージョンだが、それでも十分という。
以下は、スマナサーラ長老の話。
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死を前にした人にまずやってあげるのは、『慈悲の瞑想』となんです。
瞑想といっても難しいことをするのではなく、ただ「生きとし生けるものが幸せでありますように」という慈しみの言葉を、となえてあげることです。

意味が分からなくてもいいんです。
まずお母さんに楽しい思い出の昔話をしてあげてから、「お祈りしてあげますから」とことわって、何回かとなえてあげるといいです。
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「生きとし生けるものが幸せでありますように。
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように。
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。」
このセットでとなえてあげてください。
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後悔で死ぬというのは、仏教ではものすごく不幸だとするんですよ。
人間誰でも生きる上ではいいことばっかりやっているわけではない。善いことも悪いこともやって生きてきた。それでも後悔して死んではいけないんです。

後悔というのはいわば「怒り」です。
自分の悪いことを思い出すだけ、自分の古い傷あとをまたいじることになります。
ですから、微妙にでも後悔の気持ちでは終わらないようにしてあげなるのがいいです。

「そういえば私はよくがんばったんだ。この息子を育てたんじゃないか」という気持ちにしてあげるんです。