過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「アイヌ神謡集」

梟の神の自ら歌った謡「銀の滴(しずく)降る降るまわりに」
狐が自ら歌った謡「トワトワト」
狐が自ら歌った謡「ハイクンテレケ ハイコシテムトリ」
兎が自ら歌った謡「サンパヤ テレケ」
谷地の魔神が自ら歌った謡「ハリツ クンナ」
小狼の神が自ら歌った謡「ホテナオ」
梟の神が自ら歌った謡「コンクワ」
海の神が自ら歌った謡「アトイカ トマトマキ クントテアシ フム フム!」
蛙が自らを歌った謡「トーロロ ハンロク ハンロク!」
小オキキリムイが自ら歌った謡「クツニサ クトンクトン」
小オキキリムイが自ら歌った謡「この砂赤い赤い」
獺(かわうそ)が自ら歌った謡「カッパ レウレウ カッパ」
沼貝が自ら歌った謡「トヌペカ ランラン」
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これは、「アイヌ神謡集」の目次である。
「銀の滴降る降るまわりに」「トワトワト」「ハイクンテレケ ハイコシテムトリ」「サンパヤ テレケ」……なんと、美しい響きだろうか。

そして、この「アイヌ神謡集」を編集した知里幸惠さんの、次の序分が素晴らしい。以下、掲載。
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その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.

天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.

冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀さえずる小鳥と共に歌い暮して蕗ふきとり蓬よもぎ摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝かがりも消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円まどかな月に夢を結ぶ.

嗚呼なんという楽しい生活でしょう.

平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.

太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.

僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.

しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.

その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.

時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.

それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮あけくれ祈っている事で御座います.

けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.

おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.

アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.

私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.

大正十一年三月一日

(「アイヌ神謡集知里幸惠編、岩波文庫、1978(昭和53)年8月16日第1刷発行)