過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

Bhaddekaratta gathā バッデーカラッタ・ガータ

Bhaddekaratta gathā バッデーカラッタ・ガータ

よく「一夜賢者の教え」と訳されている。
このお経が、仏教の究極、生き方の究極と思っている。
たくさんのお経があるが、これ一本で十分。そう思っている。

要約すれば、人生とは、いまこの瞬間にあり。いまここでなすべきことをちゃんとする、そこに尽きる、ということになる。
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意訳してみた。

過去を追いもとめない。
未来を願いもとめない。

過去はすでに過ぎ去ったもの。
未来は未だ来ない。

いまここにまさに、あらわれている現実。
そこに、よく気がついていること。

揺らぐこともない。
執着することもない。
智慧あるものは、そのように生きる。

今日こそ努め励むべきこと。
だれが明日の死を知ろう。
死の大軍に恐れることはない。

悟った人は、昼夜怠ることなく、そのように暮らしている。
それは、まさに「日々是好日」。
そのように静寂で心の澄みきったブッダは説かれた。
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Bhaddekaratta gathāバッデーカラッタ・ガータ

Bhaddは、ブッダに通じる。目覚めた人、悟った人、賢い人という意味合いだろう。
ekaは、「一つ」。パーリ語では「エーカ」。ヒンディー語では、エイクと発音される。
rattaは、パーリ語では「ラッタ」。サンスクリット語では、「ラートリー」。夜という意味だ。
インドでは、「シヴァ・ラートリー」(シヴァ神の夜の祭り)「ナボ・ラートリー」(9つの女神の祭)など、夜を徹した大きな祭がある。

gathāは、サンスクリット語で言うと「ギータ」で歌。これが漢訳されたとき、音写されて「偈」(げ)となった。いまのほとんどのお経には、ほとんどこの「偈」の韻を踏んだ形式が継承されている。

ということで「悟った人の一夜の教え」ということになるか。

パーリ語は詳しくないので、まちがっているかもしれない。インドによく旅をしてきたので、ほんのすこしヒンディー語はわかる。口語のパーリ語(原始仏典)→文語のサンスクリット語(大乗仏典)→ヒンディー語(いまのインドの公用語)という流れがある。

これをパーリ語のまま、節をつけてよめるように練習している。