まったくのリアリティーに立脚している。それがブッダの教え、ととらえてみる。
ブッタの教えは、「なにかを信じろ」という道ではない。
仏ですら信じろというのではない。
ましてや、永遠の仏だとか、守護霊とか先祖霊とか神とか。そういうものを信じて歩めというのではない。
なぜか。それらは、自分で確かめられないもの。不確かなものだから。
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ブッダの、もっとも古い教典の一つ、スッタニパータにこういう言葉がある。
── 師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。スッタニパータ1066
まのあたり体得される安らぎ。
それはまさに、自分が実感したところ。自分の心身においてリアリティーのあるもの。
それをブッダは語り説いたと、とらえることができる。
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古来、信じられてきたとか、古い言い伝えとか、立派な聖典にあるとか、教義ではこうなっているとか、偉い人が言ったからとか。そういうことを信ずるのではない。
自ら実践してみて、自分が実感して、自分が体得したことを深めていく道と。
──(真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。スッタニパータ790
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ではその道はどのようにして歩めるのか。
そのマニュアルが仏典(パーリ語によるもの)にあるといえようか。
たとえば、大念処経(マハーサティパッターナ・スッタ)など。