過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ぼくと松尾さんによるパーリ語とサンスクリット語のお経

こないだの森林セラピーでは、ぼくと松尾さんによるパーリ語サンスクリット語のお経。
パーリ語は、古代インドの俗語ないし方言の1つで、南伝上座部仏教の典籍で主に使用される言語。
サンスクリット語は、いわば文語体。ヒンドゥーの教典、大乗仏教の教典などはサンスクリット語で書かれている。「ハヌマンチャリサ」というお経をよませてもらった。
  ▽
松尾さんは、「生きているうちに会いに行く人がいる」。そういうことで、夫妻でネパールに旅立った。会いたい人は二人いた。
一人は、ヒマラヤのベースキャンプで助けてくれたシェルパの友人。
一人は、インドの聖者クリシュナムルティの野外説法を一緒に聞いていた友人。
  ▽
まずシェルパの友人は、すでに亡くなっていて、その甥に会うことができた。
松尾さんのとんでもないことは、たった一枚のスリランカの僧衣とサンダル履きで、ヒマラヤのベースキャンプまで登ったことだ。標高は5,300メートルもある。
さすがに空気も薄くて極寒。松尾さんは倒れこむ。周囲から「彼はもう死んだ」ということが聞こえる。その時、「この方は、スリランカの僧侶でわれわれのヒマラヤ登山を祝福し、無事を祈っるために来た人だから大切にしよう」と、防寒具を着せて温めてくれたのが、そのシェルパであった。
もう一人の、クリシュナムルティの説法のときの仲間(3枚目の写真 赤丸が松尾さんとその友人)は、健在で大富豪であった。山荘に泊めてもらったがものすごい豪華な作りであったという。その方を探すについては、ぼくの友人の木村悟朗さんを松尾さんに紹介していた。さいわい悟郎さんのルートでたちまち見つけることができた。
  ▽
悟朗さんは、カトマンドゥでレストランを経営し、ネパールの子どもたち千人以上に「新体道」という武道を教えている。滝行も千人以上に指導している。また国家プロジェクトになりそうな堆肥化性格も進めている。こうして点と点が結ばれて、おもしろいな物語が広がっていく。

https://www.facebook.com/ichirin123/posts/pfbid02QfNLfPeDswmQC95tXw8tCZUpd2BEMetKsJFCv36DGdvC4Ce3Duk1yrscH3UC78ZCl