過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いちりん楽座の案内 「古代インド哲学(ヴェーダーンタ)とサンスクリット語」

いちりん楽座の案内
「古代インド哲学ヴェーダーンタ)とサンスクリット語
10/9(月 祝日)13時〜15時 12時半から開場。13時まで、雑談して13時からスタート。


ゲストは、インドのアシュラムで10年余に渡って古代インドの哲学(ヴェーダーンタ)とサンスクリット語を教えているMedha Michikaさん。


参加費無料。どなたでも。
途中入退室可。顔出し自由。聞くだけでも可。
インドのこと、サンスクリット語のこと、ヴェーダの哲学の話がメインになります。
GoogleMeetで行います。アプリ不要、Googleのアカウントのみ。
URLは開始2時間前にアップします。
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ヴェーダーンタ」とは、インド哲学の書物「ヴェーダ」の最終章のこと。「ヴェーダ」は知識を意味し、「アンタ」は終わりを意味する。「ヴェーダンタ」は「知識の終わり」「知識の結論」を意味する。


またヴェーダーンタは、「ウパニシャッド」とも呼ばれる。インド哲学のエッセンスと言われます。


ヴェーダーンタ哲学の教典として、有名なものは『バガヴァッド・ギーター』である。ヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典だ。そこにすべての祭祀、哲学、ヨーガの本質が述べられている。ヴェーダンタ哲学の教えはたった一つ「私の存在はブラフマン(宇宙)」ということになる。
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Medha Michika(メーダ・ミチカ)さんのプロフィール


インドのアシュラムに10年間住みながら、ヴェーダーンタサンスクリット文法を学び、教えている。日本人の女性。


恩師スワミ・ダヤーナンダ・サラスヴァティが主宰するヴェーダーンタサンスクリット39ヶ月コースの専任サンスクリット講師として、世界中から来た生徒達にヴェーダーンタ文献の文法を教えている。 


南インド、コインバートール市近郊の森の中にあるアシュラムに2010年から在住し、恩師のお膝元でヴェーダーンタを学び続けながら、サンスクリットヴェーダーンタを教え、執筆活動を続ける。


サンスクリット語パーニニ文法が専門。著書多数。 米国カリフォルニア州ロスアンゼルスでITエンジニアとして働いた後、世界70カ国を旅して歩く。


2006年からリシケシに移り住み、2007年からリシケシのスワミ・ダヤーナンダ・アシュラムにおいてヴェーダーンタサンスクリット語パーニニ文法)を学び始める。
ウパニシャッド、ギーター、ブランマスートラを、シャンカラーチャーリャの解説と共に、恩師スワミ・ダヤーナンダ・サラスヴァティの下で学ぶ傍ら、同期生達の為の補講を任される。恩師の使命により、彼の元に残ってヴェーダーンタサンスクリットを教えながら執筆活動を続けている。 
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Medha Michikaさんのブログから、池谷が適当にピックアップ。
広大なインドの、どの地域のどの村でも、ヴェーダの伝統が残る場所に行って、そこなへんにいるおじさんやおばさんに、「神様はどこにいますか?」という質問をしたならば、必ず驚いてキョトンとした顔をされるでしょう。


なぜなら、「ここにある全ては神様(バガヴァーン)」なのですから。
神様のいないところなど、ないのです。
神様が多数存在しているのが多神教


ひとつの神様が、私やあなたや、動植物とは別に存在しているのが一神教
神しか存在するものはない、存在しているのは神のみ、というのがヒンドゥー教です。
ここにあるもの全て、木も花も、空も、惑星も、うざい連れ合いも、憎いあの人も、全てはバガヴァーンなのです。
そして、私の身体も、食べ物も、それが変化した細胞も、それを可能にしている知識も、
私の生理機能も、私の全ての感情も、それを引き起こした全ての原因と、それを可能にしている全ての知識も、全てはバガヴァーンなのです。
全てであるバガヴァーンは、全てであるがゆえに、バガヴァーンの本質は、今ここに在る私自身なのです。


この事実をきちんと教えるのが、ヴェーダというサンスクリット語の文献です。
そして、こんなすごい事実があることを気付かせてくれるために、いろいろな仕掛けを、日々の生活の中に仕組んでいるのが、インド伝統の生活様式(ヒンドゥイズム)です。
宇宙にも、自分の中にも、周りの人々や動植物にも、共通に存在している、さまざまな法則を、デーヴァター(神々)と呼びます。
この宇宙の全知識であるバガヴァーンを、様々な側面から見て神格化したのが、デーヴァターです。


インド伝統の生活様式には、毎日の一挙手一投足に、人生の全ての出来事に、デヴァター(神々)の存在と、そのグレース(神々の成せる業)を認識させるために、様々な仕掛けが、いたるところに仕組まれています。


これらの仕掛けは「祈る」という行為によって作動します。
祈ることによって、様々なデーヴァター達が姿をあらわしてくるのです。
つまり、今まで当たり前だったものの中に、神々を認識できるようになるのです。
ヴェーダの伝統生活では、朝から晩まで祈り続きです。
朝起きたとき、ベッドから降りるとき、お風呂に入るとき、太陽礼拝をするとき、 テンプルにお参りするとき、食べるとき、勉強するとき、、、祈る機会が盛りだくさんです。


そうやって祈っていると、掌に、地面に、お風呂の水に、足首に、テンプル(寺院)に、祈りのことばに、食べ物に、消化機能に、自分の知能に、先生に、全てに宿っている神々が、ちょこちょこと顔を出してくるのです。


つまり、私たちの認識の中に入ってくるのです。
朝起きたら、自分の掌を見て、掌に宿る女神たちを見るためのお祈りを捧げます。
自分が造ったり、奏でたり、書いたり、描いたり、撫でてあげたり出来るのは、この宇宙を動かしている女神たちのシャクティ(能力)の表れなのだと、
祈りを通して、認識できるようになるのです。