⑪【スマナサーラ長老のエピソード】2025.6.7
●鈴木一生氏とテーラワーダ協会の設立
日本テーラワーダ仏教協会は、最初、鈴木一生氏が「テーラワーダ協会」として立ち上げた。一生氏は長年、『法華経』を中心に大乗仏教を学んできた人物だ。
彼は、スマナサーラ長老と出会ってから、それまで「低い教え」と見なされていたテーラワーダ仏教が、実は非常に深遠で本物の教えだと直感した。長老の語る教えとその人柄に、優れた価値を見出した。
一生氏は事業家であり、組織がうまく機能するシステムを常に考える人だった。そのため、当初から会員制度の協会組織をイメージし、「テーラワーダ協会」を設立。毎月、長老の法話の冊子を発刊した。経費も教会独自に賄えるよう、会員制度を基盤にした持続可能な仕組みを作り上げた。
ただ、一生氏には多少ワンマンな一面があった。また、ネット上で他宗派や大乗仏教への批判を好む傾向があり、問題を引き起こしたこともあったかもしれない。それでも、日本でテーラワーダ仏教を伝え広めるという役割を果たした功績は大きい。
ただし、後期にはミャンマーのパオ(Pa-Auk)瞑想に深く傾倒し、「パオ式瞑想こそホンモノのヴィパッサナーで、マハーシ式のスマナサーラ長老の指導は間違っている」などと発言したのは残念だったが。
それでも、ゴータミー精舎が設立された後、一生氏は「自分の役割は終わった」と感じ、自己の解脱を目指してミャンマーの森林僧院で瞑想に専念するため、協会を離れた。そこに至るまで、さまざまな葛藤があったのだろう。
●協会の運営と自発的な広がり
一生氏が去った後、協会の維持・運営はどうなるのか。スマナサーラ長老は、「長兄会のようなもので運営していく」と述べられた。それを聞いた私は、「船頭が多くなると混乱するし、結局長老に頼ることになるのでは? 組織運営って大変だろうな」と傍から見ていた。
ところが、驚くことに、しっかりした人たちが運営に携わり、ゴータミー精舎だけでなく、関西のマーヤーデーヴィー精舎や熱海精舎も設立された。さらに、各地でダンマサークルという形で自発的な活動が展開されていった。この展開は、実に不思議であり、さすがだと感じる。
●テーラワーダ仏教協会のユニークな特徴
一般的な宗教団体では、中央に組織があり、地方に支部を設けて中央集権的に布教を拡大していく。しかし、テーラワーダ仏教協会にはそのような構造がない。
そもそも長老は「布教しよう」などと考えていない。会員が増えることを喜ぶという発想もないだろう。「問われれば答える」だけ。一人ひとりが自分で気づきを深める道を教えるのみで、ともに学ぶ人々の集まりと言える。
ただ、人間には、卓越した指導者に対して過度の尊敬や信仰、崇拝の気持ちを抱きやすい傾向がある。そのため、協会にも宗教的な雰囲気が生まれることがある。
私は、そうした雰囲気が苦手で、これまで協会とはつかず離れずの距離感で関わってきた。仕事で雑誌の取材や本の制作のために長老を訪ね、かなり率直に(ときにズケズケと)質問することもある。長老を深く尊敬する方々からは、「あの人は一体誰? ずいぶん馴れ馴れしい口調だな」と見られているかもしれない。
※パオ(Pa-Auk)瞑想は、テーラワーダ仏教の伝統に基づく瞑想実践で、特にサマタ(止・平静)とヴィパッサナー(観・洞察)の両方を重視する体系的なアプローチ。ブッダの教え(パーリ経典:ティピタカ)とその注釈書、特に『清浄道論』(Visuddhimagga)を基盤にしている。
ブッダが教えた40のサマタ瞑想対象(例:慈悲瞑想、32身体の部位、十遍処、四無色禅など)を指導。特に、ニミッタ(瞑想中に現れる光やイメージ)を用いた集中力の深化が重視される。