過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

天理をたずねて(1)──掃除のすがた

奈良の天理市を訪ねた。ここ天理市は、日本で唯一宗教団体の名称を関した宗教都市だ。

町に入ってまず目につくのが「ようこそお帰り」という看板。信徒の宿泊する「詰所」、天理よろづ病院、天理大学など、瓦葺きの和風コンクリートの建物で独特の雰囲気だ。

天理教の本殿に行く。境内にはいると、瓦葺と総檜の入母屋造の巨大な建物に驚く。ものすごく広い。三千畳余りもあるという。まわりをぐるっと檜の廊下が囲んでいる。

廊下では数百人の信徒が一所懸命に雑巾がけしていた。黒い法被を着ている。背中に「天理教」、襟に「修養科生」の文字が見える。天理教には年寄りのイメージがあったのだが、若い男女が多いのは意外であった。信徒の子弟が修養として、一定期間、奉仕活動に来ているのであろう。

かれらは両手に雑巾をもち、両膝に雑巾をくくりつけている。這いながら廊下を磨き込む。「みかぐらうた」を大声で歌いながら。

心を込めて磨いているのがわかる。まったく手を抜いていない。廊下を磨いているのだけれども、自分の心を磨き込んでいる修練を感じた。

神殿を歩いていると、少女がひとり廊下を磨いている。歌が聞こえる。

「このたびは かみがおもてへあらわれて なにかいさいを とききかす 」

朝の光の中、なにか子守歌のような懐かしい響きに、思わずほろりときた。