過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マザーとの出会い(4)──ホンモノであるほどに

よくある宗教のリーダーのひとつの型として、信徒とはちがう豪華絢爛たる衣装を着け目立っている。そして、つねに立派そうに上座にいる。

話すのも難しい専門用語を使うし、聖典とか難しい権威をもちだしてくる。ま、ローマ法王とだか、日本だと仏教界のえらいさんは、そんな感じかな。

力量がすごいほどに、立派なすがたはしないんじゃなかろうか、と思う。

そういう人は、立派な衣装をつけていない、立派な席、立派な位置に座らない。話す言葉も難しくない。だれにでもわかる言葉で話す。権威を持ち出さない。

それは「どうだこんなにすごいんだ」などと、他に示す必要がないから。内実がすごいから、外側で権威で示す必要がない。

マザーは、ぱっと見たらそれとわからない。みなと同じの質素な白いサリーを着て、目立つものなど、なにもつけておられない。他のシスターのなかに埋没している。

つねに信徒よりも下座にいる。もっとも下座におられる。

説教を垂れるよりも、身をもって教えている。たくさんの信徒の数とか予算をどうするとか、数とか形にとらわれない。目の前の小さな事を大切にしている。目の前の人の心を大切にしている。

エスもそうだったろうな、フランチェスコも。そんなふうに感じたのだ。