過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いまここをちゃんと生きる、それしかできない。それもできないのだ。

すでにして、9月も7日。秋だなぁ。
鈴虫とコオロギの鳴く声がする。そして、雨粒の音。

網戸の外には、ヤモリが数匹、あるいている。その這うすがたが、可愛らしい。
あかりがよろこぶので捕まえてあげた。洗面器の水に浮かべてたら死んでしまった。

ぶーんとコガネムシが、どこからか舞ってきて蛍光灯にぶつかる。ごつんごつん。
緑色のカメムシたちも、やってくる。ごつんごつん。
カメムシたちは、うるさいのと臭いので、ペットポトルで、採り器をつくって、十匹ほど捕まえた。

かんたんにつかまえられる。器におちたカメムシたちは、ひっくりかえって足をバタバタさせている。
あかりはそれをみて可愛いという。
しかし、翌日には、ほとんど死んでしまった。

地震や台風や水害が遭っても、なあに自分のところだけは安全、と思いこんでいる。
死ぬ人は多いが、まだまだ自分は死ぬことはない、と信じ込んでいる。
じつは、風前の灯のわが生きざま、なんだろうな。

とはいうものの、いまここをちゃんと生きる、それしかできない。それもできないのだ。
まあ、それでいい。
死んだら死んだで仕方なし。あとは、どうとでもなる。なんとでもなる。
そう思っているのだが。

ブッダの最古の経典「ダンマパダ」より。

花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように。(48)

花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。(49)