過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カタリバ「看とりとおくり」完了

カタリバ「看とりとおくり」完了。この8月だけで、3回の語らいの集いと1回の講演会を主催した。合計して60名ほど参加者だった。

講演会では、大坂から三浦紀夫さんが、臨床現場の僧侶として看とり体験・おくり体験、グリフケアのこと語っていただいた。最終回では、手元供養というところで、石地蔵を刻んでいる土屋さんに来ていただいた。

語らいは楽しいものだった。参加者の語り合いも、活発だった。

企画内容と広報にもよるが、専門の講師による講演のほうが、参加者は多い。

それぞれが語りましょうという場になると、参加者は少なくなる。専門家による話じゃないと、得られるものは少ない。そう思われることもある。それぞれの語りが主体となると、人前では語るのは苦手という人もいる。ましてや「看とりとおくり」だ。内容がディープすぎる。

でも実のところ、自分のことを語りたい、自分の話を聞いてもらいたいという人は多いのだと思う。回を重ねるにつれて、下を向いて熱心にメモをしていた方が、自分のことを語り始めるときがある。いろいろ身の上話を自ら、語り始める方もおられる。

活発は語り合いの場にするには、いろいろな人に話を振っていき、相づちと質問をしながら、活発で自由な語らいの場にしていく。自分の世界を滔々と語りはじめる人もいるので、そこは調整していく。主催者としての手腕が求められるが、ここが難しい。

それにしても、企画の内容そのものが、重たいということはある。このテーマは、とっても大切なことなんだが、語りあうにしては内容が重たすぎるか。

もっと楽しいタイトルにしたら、と言われた。そもそも「看とりとおくり」は楽しいものではない。明るいものではない。深刻で暗いイメージが付きまとう。

でも、楽しくするにはどうしたらいいんだろう。そういうところから、タイトルをみていこう。たとえば、「ラクでシンプルな おくりと供養」程度がいいか。ま、今後も継続していくつもり。