過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

墓じまい③宗祖自身はどう言っているのか

仏教の宗祖自身は、墓などいらないという。供養などいらないと言っていた。

釈迦自身が死にのぞんで、弟子たちに遺言したのは、「葬儀などにかかわるな。おのおの、怠らず修行せよ」と。

「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向って怠らず、勤め、専念しておれ。

アーナンダよ。王族の賢者たち、バラモンの賢者たち、資産者の賢者たちで、修行完成者(如来)に対して浄らかな信をいだいている人々がいる。かれらが、修行完成者の遺骨の崇拝をなすであろう。」『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』(中村元訳、岩波文庫

浄土真宗の開祖である親鸞は「父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」と述べた(歎異抄)。そして、「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」と遺言した。川に捨てて、魚に食わせろと。

その師の法然は、「念仏を修せんところは、貴賎を論ぜず、海人・漁人がとまやまでもみなこれ予が遺跡なるべし」と遺言した。

曹洞宗の祖、道元も、臨済宗の祖、臨済、さらには白隠最澄空海も、さらには一遍も、自分の墓や供養のことなど、なにも述べてはいない。

墓を作れと遺言したのは、日蓮くらいか。「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」(『波木井殿御報』)と最後の手紙にある(弟子が口述筆記)。

そのように、多くの仏祖たちは、自分の墓、自分に対する供養など一切、言い残してはいない。