過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

墓じまい④遺骨は煙となって

遺骨に、死者の霊とや魂が宿るという観念があるのだろうか。

故人の唯一残りつづけるもののシンボルは、遺骨。遺髪も爪もあるが、遺骨が最強。粗末には扱えない。

そんなことしたら、死者のタタリがありそう。それは怖い。それゆえ、日本人は代々遺骨を大切にしてきた。先祖供養の中核が遺骨であり、墓なのかもしれない。

だが、遺骨があるからややこしいともいえる。

骨壷に入れて家においておくのも落ち着かない。お墓や納骨堂、合祀墓が必要となる。そのことで、菩提寺との付き合いも、ともなう。信仰的な意味合いではなく、遺骨=お墓の安置するところとしての菩提寺である。

だがお墓以外にも、樹木葬、海洋葬という選択もある。身近に遺骨が必要と思えば、部屋に安置する小さなモニュメントでもつくればいい。あるいは、人工ダイヤのようにして、身に着けているのもいい。

インドみたいに、みんな灰にして川や海に流せばいいのかもしれない。インドの聖地では、毎夜、川の辺りで多くの人が賛歌を歌い祈りを捧げている。バラナシなどでは、毎日、何十万人の儀式(プージャ)がある。圧巻である。それが何千年と継承されてきている。

ちなみに、日本では海などに流す場合、違法ではない。法務省刑事局は「節度をもって葬送のひとつとして行なう限り問題はない」(1991年)という見解。ただし、市町村条例でいろいろ制限はかかる。

いちばん超簡単な方法は、遺骨を受け取らないこと。火葬場で焼いてもらっても、「遺骨はいりません」と持ち帰らなければいい。すると産業廃棄物として処理されるだけだ。

「そんな罰当たりな」と思うかもしれないが、関西ではむかしから、火葬場で焼かれる遺骨の2割くらいしか持ち帰らない。あとは、火葬場で処分されているのだ。

市によっては「残骨灰」に含まれた有価金属を売却して市の財源に組み入れていたり、遺灰そのものを業者に売却していたという報道もある。(名古屋市、東京都、新潟市前橋市高崎市など)

シンプルでいちばんいいのは、火葬場で高温で焼いて焼いてもらえれば、すべて灰となって天空にひろがる。宇宙に溶け込むことになる。現状、そのように火葬場に依頼するのは難しいことだが。

宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」にこうある。「まづもろともにかゞやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」

煙となって、あるいは灰となって、宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらうのがよいように思うのだ。