過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「墓はいらない」という人たちは増えてきている

あかりの幼稚園の説明会の帰り、私設まほろば図書館に立ち寄る。そこで、囲碁をしている方がおられたので、しばし観戦。段位レベルの人のようで、あとで「囲碁の基本のキ」を教えていただいた。

囲碁も終わり、春野の歴史のことから、これからの人生のことやら、いろいろと雑談となる。

お墓について、その方はこう言っていた。

自分は次男坊で先祖の墓はない。墓を作りたいとは思わない。合祀墓でもいいし、いっそのこと、粉末にして畑にまいたり、山にまいたり、川に流してもらえばいい。さすがにゴミ袋で処理されたいとは思わないが。しかし、死んでしまえばもう関係ないのだ。

遺骨があると、あとあと子孫に負担になるので、いっそのこと火葬場で「遺骨はいらない」と受け取らなければいい。そしたら、産業廃棄物で処理される。それですっきりする。


この方たちは、80歳くらいである。
ぼくたちの世代では、「墓はいらない」という人たちは増えてきている。もちろんぼくもいらない。海にでも流してもらいたい。

しかし80代でも、そうした考えをもっている、しかも因習の深い山里というところが、新たな驚きであった。

墓は不要。葬儀にお坊さんもいらない。そうした意識は確実にきていると感じた


しかし、問題は、自分が死んでしまった後だと、なにもできないことだ。

いくら墓はいらないと思っていても、遺族はお坊さんをよんで戒名つけてもらって、お墓に入れるかもしれない。

だから、生前、ちゃんと後事を託す人をみつけておかなくちゃならない。そのあたりが難しいし、そこに新しいビジネスの可能があるともいえる。