このお彼岸に、お寺で講演を依頼されている。臨済宗方広寺派の泰月院。法要の後、檀家さんを相手に話してほしいということだ。100人くらい来られるようだ。9月23日。
といってもぼくは、壇上からありがたい話はできそうにない。何を話そう。春野の山里暮らしのことがいいのか、寺カフェのネットワーク作りのこと、自身のさまざまな宗教遍歴や体験がいいのか。おもしろそうじゃないなあ。
「看とりとおくり お墓や戒名などいらない」だと、檀家さんの前では具合が悪かろう。お坊さんの研修会では、そういう話はさせてもらったけれども。お寺には嫌がられるなぁ。
それで、友人のスワルナリさん(東インドのベンガル出身)と話して、ひらめいた。タイトルは「仏教の源流・インド」だ。
お釈迦さまのインドでの受け取られ方。インドの神々と日本の神のこと。お彼岸について。ぼくがこれまで13回ほど旅をしたインドでのびっくり体験・宗教体験を中心に話をしたらいいかな。
じゃあ一緒に話をしようと。ぼくよりも、はるかにスワルナリさんのほうが、話はうまい。ベンガル語はもちろん、ヒンディー語、英語、日本語、サンスクリット語ができる。
話は明快。論理的。なにより説得力がある。それにインド人が話せば、目からウロコの話が多いと思う。
「へぇー、インドってお墓はないのか」「ガンジス川に遺灰を流すんだ」「先祖供養って、そんなふうにしているんだ」「インドのお寺って、そうなっているんだ」と。
今年は秋くらいから、スワルナリさんと、インド講座もシリーズで展開していこうと思う。仏教、宗教、ヴェーダの哲学、料理教室、スイーツづくり、サリーの着方など。